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絶対安全・ゼロリスクはない

2013年09月29日 | 雲の日記

 
幸せに生きるために社会を変えませんか??






 皆さん、こんばんは!^^
今日は深夜のUPになります。外では秋の虫が鳴いていて驚きました。急激に秋が深まっているようです。暑さ寒さが厳しくなり、秋と春が短くなっていくのでしょうか? 心配ですね^^

今日は怒りの『原発事故』です。どれだけの放射能汚染が食品にあるのか分からない状態で『風聞被害だ』・『生産者が可愛そうだ』の声に押されて声を上げられない消費者もいるでしょう。しかし行動は正直で、スーパーなどでは放射能被害の大きそうなところ(スポットなど)の農産物は売れないようです。(もしくは価格を安くしなければならいなどの被害があるように感じます)

誰だって原発事故の被害者です。生産者も消費者も同じ原発事故の被害者です。

買わない消費者を恨むのではなくて、放射能被害として東電に賠償してもらう方がいいと個人的には思います。消費者も生産者と相対するのではなくて(同じ被害者として)連携した方がいいと感じます。『生産者VS消費者』の構図にされないようにご注意下さいね。

原発事故の時に原子炉を冷却するために大量の水を使ったことは誰でも知っていることです。あの時は『不完全な安全対策』のために原子炉の冷却は水を使うしかないと多くの人は考えたはずです。私も仕方ないと思いました。同時に思ったのは放射能に汚染された水は(処理できなくなれば)地面に浸透させるか海に流すしか方法がないだろうと思ってました。原発推進をした自公政権も東電も原発事故は起こらないと(自ら作った)『安全神話』を信じて、事故対策をしていなかったからです。

それでも仕方ないと思いました。原子炉を冷やさなければ次の爆発が起きていたかもしれないからです。あの時点で水による原子炉の冷却は素人の私でさえ仕方ないと思えたものです。しかし原子炉を冷却した汚染水の問題は、すぐさま対策が必要とされる問題だったと理解出来た筈です。それを怠った。

それが今の汚染水問題の最初です。

現政権の主張は『大丈夫!』『何とかなる!』の一点張りです。しかし本当にそうだろうか?
今も毎日出続ける原子炉を冷却するための汚染水。安倍首相は『状況はコントロールされている』と言っている。本当にそうだろうか?

朝日新聞の『耕論』“止まらない汚染水”の記事の中で元東北大学総長・阿部博之氏のインタビュー記事がありましたので引用したいと思います。

(引用始まり)
 英国の科学誌ネイチャーは9月初め、日本政府が福島第一原発の汚染水対策を発表したのを受け、「福島危機」への対応を厳しく批判する論説を掲載しました。東電と同様、政府の対応能力にも疑問を呈し、海外の専門家の力を借りるべきだと主張しています。世界で多くの研究者に読まれている雑誌であり、海外から厳しい目が注がれていることを十分に認識すべきです。
...

 <十分予測できた> 技術者であれば、大量の水で原子炉の冷却を始めた時点で、水の処理が大きな問題になることは十分予測できたはずです。原発事故への備えを怠ったために深刻な結果を招いたという3・11の反省を生かすなら、水の問題には早い段階で専門家を集めて対策を考え、手を打っておくべきでした。ネイチャー誌は、東電は事故以来、問題の本質と重大さを繰り返し見誤ってきたとし、「タンクからの漏れという小さな異常が真の危機になった」と指摘しています。

 企業の安全対策は、短期的には経営や利益と相反しがちです。今回の汚染水対策の遅れも、東電の経営破綻(はたん)を避けるため、巨額の費用がかかる措置を先延ばししたのではないか、と疑われています。政治の側も、東電の経営内容を政治問題にしたくないという思惑があったのかもしれない。

 しかし、安全は経済や政治と切り離して担保することが欠かせません。そこで重大な責任を担うのが科学者、技術者なのです。
...
 <絶対安全はない> 技術者の責任をめぐっては米国のスペースシャトル・チャレンジャー事故の例がよく知られています。メーカーの技術者が極寒での打ち上げに反対し、予定通り打ち上げたい米航空宇宙局と対立しました。結局、「技術者の帽子を脱いで経営者の帽子をかぶれ」と言われたメーカーの管理職が部下の反対を抑えて打ち上げに同意し、事故につながったのです。事故の調査委員会でも、科学的な真実に立つべきだという姿勢を貫いたのが、ノーベル賞を受賞した物理学者のファインマン博士でした。

 私が強調したいのは、すべての事象に絶対安全、あるいはゼロリスクということはありえない、ということです。...
(引用終わり) (9月27日 朝日新聞)


この記事の中で私が強調したいことは太字のところです。
よく『原発に頼らない社会を目指したい』と言うと友人・知人の中には『それでは経済は立ち行かない』と言う。経済の為に私達国民は『危険と隣り合わせでも我慢しろ!』ということになる。私達が一番に考えなければならないことは『安全と安心』ではないのだろうか? 

原発に依存した経済繁栄より『原発に頼らない社会』を目指したい国民が多ければ、政府は舵取りを変えなければならない筈です。しかし政府は頑として『原発再稼動』に突き進んでいる。あれだけの世界規模の原発事故を起こしながら、東電は倒産も解散もしないで済んでいる。それでいて賠償できないときは公的資金を投入してもらえる。

東電は幸せな民間企業だと言えるでしょう。

次は『すべての事象に絶対安全、あるいはゼロリスクということはありえない』という言葉です。その通りでしょう。だからこそ、事故を起こしてはならない原発は要らないと思うのです。『絶対安全』『ゼロリスク』がないものには危険な原発を選択してはいけないと思うのです。

それが多くの国民の意思ではないだろうか??

アベノミクスのような打ち上げ花火もいいが、地道な原発処理もお願いしたいですね。

次は魚を食べたくなくなりますから...