原孝至の法学徒然草

司法試験予備校講師(弁護士)のブログです。

人生で一番悔しかった時

2011-06-28 | 勉強法全般
今日,午前中は弁護士会館で弁護士倫理の講義。ベテランの先生の経験に基づく講義で非常に面白い内容だったんですが,倫理って,難しいですね(笑)久しぶりに修習同班のメンバー全員と会い,それも楽しかったです(弁護修習期間中は,バラバラです)。

さて,短答の合格発表からしばらく経ちましたが,短答で涙をのんだ方,受け控えた方,着々と勉強を進めているでしょうか?当然ながら,夏が,9月の最終合格発表までが,来年の合否を大きく左右します。短答○論文×の受験生の方が,短答で涙をのんだ方,受け控えをした方よりも実力があると考えるのが自然で,ならば,「挽回」「逆転」すべき状況にあるからです。短答○論文×の受験生は3000人以上で,その多くが来年リベンジを賭けてきますので,「ごぼう抜き」が必要になります。

今日,こんなことを書いているのは,自分が落ちた年のことをふと思い出したから。受かった年は自宅でネットで合格を確認したのですが,落ちた年は法務省…(涙)

今も忘れぬ,「不」合格発表。結構,自信があったので意気揚々と会場へ。入場制限もあって,ずいぶん待たされました。いよいよ私が入って良い番となり,掲示板へ。ところが,自分の受験番号を探すも,ない…。

落ちたことそれ自体も悔しかったのですが,それ以上に悔しかったのが,周りの合格者の振る舞いを見たこと。写メ,家族への電話くらいはいいとしても,胴上げ(胴上げされてる合格者の足に頭を蹴られてそりゃもうイラっと),雄叫び(うるさかった),インタビュー(「人生最良の日です」と答えている合格者がいて,「こっちは最悪の日だよ」と言ってやりたかった),などなど。合格者の中には,LS同期も当然いまして,(正確悪い言い方になっちゃうんですが)「まさか」と思う人が合格していて,それでいてなんで自分が落ちるのだと…(ま,原因は論文・民事だったわけですが)。とにかく最悪の気分でした。

…というのを,今も覚えているのです。受験期間中はもっと明確に記憶があって,その光景が忘れられないものでした。思い出すたびにイラっと来たのですが,今考えれば,あの光景こそ,最終的に合格できた原動力になったのかな,とも思います。「まさか」と思う人が合格していた点についても,最初は「まぐれだろう」なんて思っていたのですが,知り合いの話を聞いてみると,それはそれは勉強したそうで。いつしか,「なんであいつが受かるんだ」という思考から,「あいつがそれだけ勉強したなら,自分はそれ以上できるに決まってる」というプラスの方向の原動力に変わっていきました。今から考えてみると,「なんであいつが」と思っていても何の得もないんですよね。その捉え方を変えられたのは良かったんだと思います。

短答不合格だった方,受け控えをした方は,それぞれ今年合格しないことが決まった時から,それなりの時間が経過しています。その時の悔しさも薄れやすい頃かと思います。しかし,現在位置のままでは来年の合格はありません。周りも伸びてくるのだから,それ以上に伸びていかなくてはならないわけです。今年合格できなかったことを,冷静に捉えて,それをプラスの原動力にせねばなりません。

来年,合格できるかどうかの1つの目安です。以下の「肢」を×あるいは△と解答するならば,何らかの改善が必要です。

「今年合格できなかったことが判明した後,腰を据えてじっくり勉強をし直したら,いかに自分の知識・理解が浅いものかわかり始めた」

短答210点未満というのは,まだまだ勉強することがたくさんある段階だと思います。それを正面から,真摯に受け入れられるかどうかが合否を分ける大きなポイントです。


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