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大坂城

2017-04-17 02:49:39 | 日記

                                         大坂城

                                                              〶 540-0002 大阪府大阪市中央区大坂城 1-1

                                                              ☎ 06-6941-3044

           

                             大坂城の歴史的文献やその他の詳細は省略致します。

                             2017.04.14 撮影   2017.04.17 投稿

                                     

                                     

                                     

                        

                  重要文化財 金明水井戸屋形(きんめいすいいどやかた)

                   大坂城の小天守台(こてんしゅだい)にある井戸を金明水といい、それを覆う 面積11.55㎡、高さ5.2mの建物を金明水井戸といい、井戸は水面

                   まで約33m、井筒は一個の石をくり抜いたもので、外部の水流しは、4枚の大石を組み合わせて敷き詰めており、伝説では豊臣秀吉が水の毒気を

                   抜くために黄金を沈めたと言われているが、戦後の学術調査により、この井戸は豊臣時代のものではなく、徳川幕府にる大坂城再築工事にともない

                   寛永元年(1624)に新たに掘られものです。

                                     

                                     

                             青銅製大砲 (お城のドン)

                   号砲 (お城のドン)

                    大阪城小天守台にある幕末の青銅製大砲です。 文久3年(1863)に美作津山藩の鋳工百済清次郎が幕府の命により製作し、天保山砲台の                                                                 

                   備砲であったと伝えられる。 明治になって大阪城へ運ばれ、陸軍により明治3年(1870)から同7年(1874)まで朝昼晩の時報として、それ以降

                   は正午の時報として号砲を轟かせた。「お城のドン」として市民に親しまれていたが、大正13年(1924)に中止されたそうです。
                   

                    江戸時代に製作された和製大砲として希少であり、遺存状態も良好である。
                   

                   また、砲架は昭和61年(1986)に修復されたが、大砲と同時に作られた幕末の砲架と考えられ、修復に際しては再利用できるものはそのまま

                           使用され、当初の姿に復元されている。

                                     

、、

                             桜門枡形の巨石

                              桜門の内側には、本丸の正面入口を守るため、石垣で四角く囲まれた、【枡形】と呼ばれる区画が設けられ、上部に多聞櫓(たもや                       

                              ぐら)が建てられた。この枡形は、徳川幕府による大坂城再築工事の第二期工事が始まった寛永元年(1624)、備前岡山藩主池

                              田忠雄の担当によって築かれ、石材は備前産の花岡岩(かこうがん)が用いられており、正面の石は【蛸石=たこいし】と呼ばれる

                              城内第一位の巨石で、表面積 約36畳敷(59.43㎡) 重量は約108t。

                                     

                                     天守閣から大阪城ホール方面をみる。

                                     

                                     

                                     

                                     

              ここ大坂城天守の建つ本丸内は桜の木が少なく、ベストスポットが無くまた城内は撮影禁止のため画像が少なく、外堀の桜を撮影するには敷地面積が広す

              ぎ(外周のキロ数は約3kmほど)、足が痛くて撮影を取り止めました。

                            


熱海海上花火大会

2017-04-16 03:13:07 | 日記

                                   熱海海上花火大会

                          2017.04.15 撮影

                          特に説明出来ないので画像だけ見てください。

                                   

                                  

                                  

                                  

                                  

                                  

                                  

                                  

                                  

                                  

                                  

                                  

 


大阪造幣局 さくら

2017-04-15 16:25:14 | 日記

                                   大阪造幣局 桜の通り抜け

                                                                     〶 530-0043 大阪府大阪市北区天満 1-1-79

                                                                     ☎ 06-6351-5361

                            2017.04.14 撮影

                                    

                                    

                            御車返 (みくるまがえし)

                                    

                            鬱金 (うこん)

                                    

                            林一号

                                    

                            蘭蘭 (らんらん)

                                    

                            小手鞠 (こてまり)

                                    

                            雨宿 (あまやどり)

                                    

                            林二号

                                    

                            紅手鞠 (べにてまり)

                                    

                          夕暮                                 雨情枝垂(うじょうしだれ)

                                  

                 八重紅枝垂               思川                   千原桜                   大手鞠

                   

                           駒繋 (こまつなぎ)

                           

                 東錦                   一葉                   紅南殿             祇王寺祇女桜(ぎおんおうじぎじょざくら)

                    

                  楊貴妃                 永源寺                  高台寺                 衣笠

                           

                  法明寺                  御室有明 (おむろありあけ)    大提灯 (おおちょうちん)       朱雀 (しゅじゃく)

                           

 

                          雨情枝垂 (雨情枝垂れ)                           紅豊

                           

                     白雪                                       南殿 (なんでん)

                      

                          大提灯                                      大白 (たいはく)

                             

                      松月 しょうげつ)                              手鞠 (てまり)

                      

                                        

                                        

                                      八重紅虎の尾 (やえべにとらのお)

                                        

             4月14日撮影の大阪造幣局の【桜の通り抜け】を投稿しましたが、今回の投稿にあたり詳細その他の細部に亘る説明が出来ないので画像のみのご閲覧で、お願い致

           します。

 


小田原城址公園

2017-04-13 08:13:26 | 日記

                                      小田原城址公園のさくら

                                                                          神奈川県小田原市城内 6-1

                             2017.04.12 撮影

                                     

                昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造で、復興された、三重四階の天守に付櫓・渡櫓を付けた姿となっていますが、現在は内部五階で、最上階の

                高欄付きの回廊も復興に際し新たに付けられたもので、現在の天守閣の中では甲冑や刀剣・絵図・古文書・考古資料など、小田原城や小田原北条氏

                の歴史を伝える資料が展示されています、今回は【桜の鑑賞】ということで、歴史的な詳細は省略致します。

                       

                                     

                                        

                                      

                                      

                                      

                                     銅門  (あかがねもん)

                              馬屋曲輪から二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正面にあたります。入母屋造瓦葺きの渡櫓門で土塀で周囲

                              を囲んだ枡形門の構造となっています。渡櫓門の大塀は、銅門(あかがねもん)の名の由来となった銅版・銅鋲で

                              美しく装飾されています。

                                      

                              常磐木門  (ときわぎもん)

                                小田原城、最大で最強の門

                                      

                                      

                                      

                                      

                                      

                                      

                                      

                                      

                                      

                                      

                              天守閣より「さくら」を見下ろす

                                      

                             今日の撮影では、天気が曇天で画像に見栄えがしない、背景が青空であればもう少し良かったのだが。

                             昨日の投稿で、掛川城の【竹の丸】と【大日本報徳社】をアップすると書いたが、画像処理をしたところ、見栄えが

                             しないので取り止めにします。

                             明日(4/14)、大坂造幣局の【さくらの通り抜け】へ行ってきますので、画像まっててね。


掛川城 二の丸御殿

2017-04-12 16:50:25 | 日記

                                     掛川城 二の丸御殿

                                                                   〶 436-0079 静岡県掛川市掛川 1138-24

                                                                   ☎ 0537-22-1146

                            2017.04.09 撮影

                                   

 

                  御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、

                  各室は襖によって仕切られています。
                  

                  当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。
                  現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて

                  再建されたものです。安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、

                  廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続け

                  ました。
 

                   その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物とし

                  て、国の重要文化財に指定されています。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                      

                                   

                                   二の丸御殿より見る掛川城

                                   

                                         

 

                   御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、

                   各室は襖によって仕切られています。
 

                   当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。
 

                   現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にか

                   けて再建されたものです。
 

                    安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県ととも

                   に掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。
 

                    その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物

                   として、国の重要文化財に指定されています。

 

                       今日ね(4/12)、小田原城址公園の桜の撮影に行ってきたので、後日アップするね、何故なら掛川城・竹の丸と大日本報徳者の画像が残ってい

                   るので、今日撮影の小田原城址公園は後回しになってしまいます。