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時之栖

2015-11-28 18:35:17 | 日記

                                                     2014.12.18                      御殿場  時之栖イルミネーション

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                この、時之栖イルミネーション(ときのすみか)の画像は1年前の画像です、時之栖へは5回目位の撮影ですが、年々、人気が無くなり画角内に人物が、

               殆んど写らなくなってきました、もちろん極力、人物が写らない様にしているのですが、6~7年前には人が押すな、々の盛況ぶりで撮影にも苦労しました

               が、3~4年前より客足もメッキリ減り、人物を入れない様にしてはいるのですが、これ程、人がいないのも寂しいものです、ここ時之栖のイルミネーション

               見学は無料ですが、噴水ショーは有料で去年は1000円でしたが今年は幾らするのかな?キット去年と同じ1000円だと思う。

                今年の時之栖のHPを覗いたらね去年に比べたら大分見応えが有るように思えたよ、今年も撮影に行って見ようかな・・・・・

                今日ね、腰と足の治療に行ってきたのだが、大分痛みも取れ、後2~3週間で歩ける気がする(現在は100mも足が痛くなり有るけない)、体調が整い

               次第撮影に行ってくるね。


相模湖イルミリオン

2015-11-26 18:42:09 | 日記

、.

                                相模湖イルミリオン                              相模湖イルミリオン.

                        14.12.15  撮影の画像(1年前になります) 

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                  足が痛くなって、もう3週間以上になるよ、毎日、通院と自宅療養でさ撮影に出掛けられなくてね、古い画像で御免ね、来年の正月までには

                  歩けるように、なりたいよ。


法隆寺

2015-11-25 15:58:34 | 日記

                                                                                              奈良県  斑鳩の里 【法隆寺】

                                                    西院伽藍(にしいんがらん)

                                            

                         西院伽藍

                           法隆寺の一番中心的な伽藍、西院伽藍の入り口正門に位置する門で、法隆寺に禅4件(日本全体で全5件、他1件は法起寺三重塔)

                           残っている貴重な飛鳥建築の1件。

                           門の全面左右には金剛力士像(711年、重文)が設置されている。

                         中門

                           西院伽藍の本来の入り口となる中門の深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、それを支える

                           エンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に金剛力士像(奈良時代)は、

                           日本に残っている最古のものです。

 

                                             

                         五重塔

                           金堂と並んで世界最古の木造建築の1棟で、法隆寺を代表する建築物です。

 

                                                 

                             金堂と五重塔

                              五重塔と並んで世界最古の木造建築の1棟で、法隆寺を代表する建築物で、堂内には釈迦三尊像、四天王立像等、

                              飛鳥仏の傑作が安置されています。

                                              

                                               

                           夢殿

                            法隆寺東院伽藍の中心をなす八角堂の建物で、739年(天平11年)ころに創建され、1230年(寛喜2年)に大修理が加えられた。

                            聖徳太子の住まいであった「斑鳩の宮」に、行信僧都(ぎょうしんそうず)が太子の遺徳を偲びたてたのが上宮院その中心が夢殿で、

                            内部には、本尊の国宝救世観音像(聖徳太子等身の像とつたえられている)とともに、行信僧都と、平安時代初めに東院を修理した

                            道栓律師(どうせんりっし)の坐像があり、いずれも国宝に指定されています。

                              聖徳太子が住まわれた「斑鳩の宮」にも夢殿と呼ばれる建物が有ったと伝えられ、太子はその建物の中で思索にふけり、東方か

                            ら来た金人(仏)のお告げを聞いたという。

                                               

               言い訳 : 撮影当日は霧雨で鮮明な画像でなく、申し訳ありません。空が青空で有れば画像も、もっと引き締まったのですが・・・・・  (腕が悪いのさ)


原爆ドームと広島城

2015-11-24 05:46:15 | 日記

                                   原爆ドームと広島城

                                     

                                     

                                     

                 原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家 ヤン・レツルの設計により1915年(大正4年)4月に 【広島県物産陳列館】 として完成し、

                特徴のある緑色のドームによって市民に親しまれていました。 館は、県物産の展示・販売、商工業に関する調査・相談などを業務としていま

                したが、美術展や博覧会など文化事業にも利用されました。

                 その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、業務の拡大が図られていきましたが、戦争の長期化・激化とともに業務が縮小

                され、戦争末期の1944年(昭和19年)4月から、内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用

                されました。

                 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機が、人類史上初の原子爆弾を投下しました。原爆は、広島県産業奨励館の

                南東約160m地点の上空約600mでさく裂し、建物は大破・全焼、館内にいた全員が即死しました。

                 しかし、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため建物の壁の一部は倒壊を免れ、最上部に残った鉄骨により円蓋をもつ建物であったことが

                わかる程度の残骸となりました。

                 戦後、広島県産業奨励館の残骸は、採用部の円蓋鉄骨の形から、いつしか市民から、原爆ドームと呼ばれるようになりました。

                 原爆ドームについては、当所、記念物として残すという考え方と、危険kン贓物であり被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すと言

                う二つの考え方がありました。

                 しかし、市街地が復興し、被爆建物が姿を消していく中で、保存を求める声は次第に高まりを見せ、1966年(昭和41年)、広島市議会が原爆

                ドームの保存を決議しました。これを踏まえて、保存工事のための募金運動が行なわれ、国の内外の平和を願う多くの人々の寄金により1967

               年(昭和42年)、第一回目の保存工事が行なわれました。

                その後も、数回の保存工事が行なわれ、原爆ドームは被爆当時の姿を今に伝えています。

                1996年(平成8年)12月、原爆ドームは、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝える歴史の証人として、また、核兵器の廃絶と世界の

               恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑として、世界遺産に登録されました。

                また、原爆ドーム周辺は文化財保護法による国の史跡に指定されるとともに、平和記念公園周辺を含む区域に緩衝地帯(バッファー・ゾーン)が

               設定され、原爆ドームの保護が図られました。

                                      広島城

                                     

                 広島城は、中国地方の大半を領有する戦国大名・毛利元就の孫、輝元によって天正17年(1589年)、太田川デルタに築城が開始されました。

                同時に城下町の建設も進められました。関ヶ原の合戦後も進められました。 関ヶ原の合戦後、毛利氏に代わって入城した福島正則は、広島城

                の整備をさらに進め、西国街道を町人町に引き込むなど城下町の拡充を回りました。しかし、城郭の修築届の不備をとがめられ、元和5年(161

                9年)に福島氏は改易され、その後 和歌山から浅野長政が城主として入城しました。以後 浅野氏が12代に渡り城主を勤めました。

                 廃藩置県後は城内に陸軍の施設が置かれ、広島城の建築物の大半は失われてえいきましたが、天守閣や、いくつかの城門、二の丸の櫓群な

                どは残されていました。しかし、昭和20年(1945)5月6日の原子爆弾投下により、これらの建物は壊滅しました。現在の天守閣は昭和33年(1958)

                に外観を復元して建てられ、内部は武家文化を中心に紹介する歴史博物館となっています。広島城関連遺跡からほぼ完全な形で出土した貴重な

                金箔鯱瓦は常設展示しております。人気の体験コーナーでは、鎧や兜などの時代衣裳を身に着けて写真の撮影も出来ます。

                                     

 

                                     

                                     

 


ヤマハつま恋サウンド

2015-11-23 00:11:50 | 日記

                                                    ヤマハつま恋サウンドイルミネーション

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                       この、ヤマハつま恋サウンドイルミネーションの画像は 2013.02.11 撮影の画像です、先日も話しましたが、11月5日より

                                    右の腰から足の親指まで激痛が走り、日曜・祭日を除き毎日病院がよいです、そんな訳で自宅から出掛けられなくて、辛い日々を

                                    送っています、もう17日になります、上記画像も家から出掛けられないので古い画像をアップしましたが、テレビのCMで今年の「つ

                                    ま恋」のイルミネーションが放映されていますね、3年前の”おいら”の画像と大分違いますね、主役のトーン記号も少し変わってい

                                    ますね、早く体調を直し、外に出掛けたいのですが、なかなか薬の効能が出ず辛い思いをしています、体調が良く成ったら、撮影、

                                    頑張ります。

                                 待っててね・・・・・