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修善寺散策

2016-06-13 07:10:30 | 日記

                                            修善寺散策

                                                                                お問い合わせ

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                                                                                     ☎ 0558-72-5501

                              2016.06.11 撮影

                              修禅寺本堂

                              

            ここ、修善寺では、お寺の名前には【禅】の字を使い、地名には【善】の字を使います。    お寺「修寺」  地名「修寺」  どちらも読み方は「しゅぜんじ」と読みます。

            ※ なお、今回は修禅寺、及び、日枝神社の概要、その他詳細説明は省略させて頂きます。

                              修禅寺 山門

                              

                              山門の裏側

                              

                              

                              山門と花菖蒲  (ここ修善寺の街中には、いたる所に花菖蒲が飾っていました)

                              

                              日枝神社

                              

                              日枝神社本堂

                              

                              日枝神社のご神木

                                

                               独鈷の湯(とっこのゆ)

                               

                               この、虎渓橋を見る場所は、秋の紅葉時には絶景のスポットとなります。

                               

                               虎渓橋より上流の桂橋を見る

                               

                  指月殿(しげつでん) ↓

             この地で非業の死を遂げた鎌倉幕府二代将軍頼家(よりいえ)の冥福を祈り、母・北条政子が建立したもので、伊豆最古の木造建築といわれている。指月とは経典を意味し

            善家が愛用している不立文字(ふりゅう・もじ)を解く言葉である。建立の際、政子が寄進した宋版大蔵経(そうはんだいぞうきょう)は、大半が散失し僅か8巻しか残っていない。

            そのうち【放光般若波羅密多経 = ほうこうはんにゃはらみたきょう】の第23巻が静岡県指定文化財となっている。本尊の釈迦如来坐像は、寄木造り(よせぎ)で高さは203

            センチ、持ち物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴である。【指月殿】の扁額(へんがく)の実物は宋の名僧・一寧一山(いちない いっさん)の書といわ

            れ、修禅寺本堂に保存されている。

                               

                               竹林  (この竹林は結構綺麗だよ、寝転んで空を仰ぐようにして撮影)

                               

                               

                  源頼家(みなもとのよりいえ)の墓 ↓

             正治元年(しようじ元年=1199)に父・頼朝(よりとも)の後を継いで18歳で鎌倉幕府二代将軍となった頼家は、父の没後に専横(せんおう)になった北条氏を押さえて幕府の基礎

            作りに懸命で有ったが、大きく揺れ動く時流と、醜い駆け引きに終始する政争に敗れ、在位わずか6年でこの修善寺に流され、元久元年(1204)祖父・北条時政の手で入浴中

            に暗殺された(享年23歳)。

             【修善寺物語】はこうした政治的背景の上に配所(はいしょ)の若き将軍・頼家と、面作り師夜叉王を中心に、それにまつわるロマンスを綴ったものである。この碑は、元禄16年

            (1704)頼家の500周忌にあたって、時の修禅寺住職・筏山智船(ばっさんちせん)和尚が建てた供養塔であり、墓はその裏側にある2基の小さな五輪石塔である。

                               

                               

                               

                               しゅぜんじ画廊・内部の写真と花菖蒲

                               

          ブラリ修善寺の街へ出掛けて見たが、これと言って撮影する場所も無く皆様には退屈なページでしょう。 ”ごめんでやんす”、帰りにさ、【白岩の湯】と言う公共の・お風呂に入ろう

          と思ったが時間がなくてさ、公共のお風呂なので入浴料も安く、400円だったかな?、人の話によると、入浴後脱衣室で腰に手を当て、ビン入りの牛乳を飲むのが【ツウ】なんだっ

          てさ。