源頼朝は親の仇と分かった上で、平家との戦いに手柄を立てれば取り立てると約束。長田父子は平家追討に力を尽くしました。勲功に応じて美濃・尾張の国を授けるとの報に喜び、頼朝の前に現れたところ捕らえられ磔に処されました。
法山寺に近い小高い山の中腹に、「長田父子の磔の松」という怖い名前の遺跡があります。案内書等の写真を見ても意味が解らない画像だったのですが、まじかに見て、枯れた松の大木の一部を材木で支えていることが分かりました。
法山寺に事件があった湯殿跡があると聞いてきたのですが、案内表示などありません。お寺の山の階段脇のお地蔵さんを見ながら境内から降りてみました。詩人擔風は地元の人に案内されて階段を降りたのかもしれません。
擔風は風呂に誘い出した謀計について「恩讎(しゅう)己に誤る君臣の分 骨肉総て萁(き)豆の争いを為す」(君臣の分をわきまえず 豆柄で豆を煮るがごとくの骨肉の争いが悲劇を生んだ)と吟じ、長田父子の短慮を悼んでいます。