アンジェラおばさんのお気軽フォトギャラリー

テーマにこだわらずに気ままに写したものを投稿します。 

野間懐古の地 長田父子磔の松 3

2022年10月29日 | Weblog
源頼朝は親の仇と分かった上で、平家との戦いに手柄を立てれば取り立てると約束。長田父子は平家追討に力を尽くしました。勲功に応じて美濃・尾張の国を授けるとの報に喜び、頼朝の前に現れたところ捕らえられ磔に処されました。
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野間懐古の地 長田父子磔の松 2

2022年10月29日 | Weblog
松はすでに根元が朽ちて幹を支えることができません。幹は株のそばに立たされています。詩人服部擔風が訪れた時、松は健在だったのでしょうか。
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野間懐古の地 長田父子磔の松

2022年10月29日 | Weblog
法山寺に近い小高い山の中腹に、「長田父子の磔の松」という怖い名前の遺跡があります。案内書等の写真を見ても意味が解らない画像だったのですが、まじかに見て、枯れた松の大木の一部を材木で支えていることが分かりました。
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詩人服部擔風作の「野間懐古」の地 14 法山寺

2022年10月27日 | Weblog
「平治二年正月、義朝公はこの地より西七百米にあった長田屋敷に逗留中、正月三日の初湯に招かれ、入浴中に長田父子に謀殺された」との当地美浜町教育委員会による説明板が立てられていました。
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詩人服部擔風作の「野間懐古」の地 13 法山寺

2022年10月27日 | Weblog
義朝公の像のすぐ隣に石で囲まれ、真ん中に渡り石がある窪みがありました。これが問題の湯殿跡です。平成3年12月3日に義朝公最期の地湯殿跡として美浜町指定文化財(史跡)に指定されたとあります。
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詩人服部擔風作の「野間懐古」の地 12 法山寺

2022年10月27日 | Weblog
木漏れ日のスポットライトを浴びて「源義朝公之像」が鎮座していました。
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詩人服部擔風作の「野間懐古」の地 11 法山寺

2022年10月27日 | Weblog
20段ほどの急な石の階段を降りたところに、「源義朝公横死の湯殿水跡」の石塔とその奥に石像がありました。何も知らずに訪れたなら見落として帰ってしまったかもしれません。

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詩人服部擔風作の「野間懐古」の地 10 法山寺

2022年10月27日 | Weblog
法山寺に事件があった湯殿跡があると聞いてきたのですが、案内表示などありません。お寺の山の階段脇のお地蔵さんを見ながら境内から降りてみました。詩人擔風は地元の人に案内されて階段を降りたのかもしれません。

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詩人服部擔風作の詩「野間懐古」の地 9 法山寺

2022年10月26日 | Weblog
擔風は風呂に誘い出した謀計について「恩讎(しゅう)己に誤る君臣の分 骨肉総て萁(き)豆の争いを為す」(君臣の分をわきまえず 豆柄で豆を煮るがごとくの骨肉の争いが悲劇を生んだ)と吟じ、長田父子の短慮を悼んでいます。
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詩人服部擔風作の詩「野間懐古」の地 8 法山寺

2022年10月26日 | Weblog
義朝の重臣鎌田政家の嫁が長田家の長女であり、親戚を頼ってこの地に来たのです。長田忠致父子は勢いある平家の清盛の出した追討の探索におびえ、親戚筋の鎌田政家とその上司義朝を討つ決断をしたのです。

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