家康公が眠るところは久能山の最上部に近い場所に据えられた石造りの神廟と呼ばれる堂々としたお墓でした。隠居所の高い場所から自らが作り上げた天下を見守ることができるようにここに祀れと遺言したのですね。
明日から田舎の法事でしばらくお休みします。よろしくお願いします。
家康公が眠るところは久能山の最上部に近い場所に据えられた石造りの神廟と呼ばれる堂々としたお墓でした。隠居所の高い場所から自らが作り上げた天下を見守ることができるようにここに祀れと遺言したのですね。
明日から田舎の法事でしばらくお休みします。よろしくお願いします。
最上段まであと数段のところの石壁に目が留まりました。壁はひとつひとつの石の形に合わせて切り取って組み合わさっていて、カミソリの刃一枚が入るスキがないという言葉が大げさではないと思うくらいの出来栄えです。
国宝御社殿の側面を見てさらに奥に進みます。大工棟梁にして、その腕を評価され大名の位階を与えられた中井大和守正清が築いたこの建物は、家康公が東照大権現としてお祀りされていることから権現造りと呼ばれ、以後全国各地に造られた東照宮の原型となりました。
日光東照宮に比べ規模は小さいものの桃山時代の技法をも取り入れた江戸初期の代表的な建物として国宝に指定されています。社殿の隅々まで破たんなく行き届いた彩色はみずみずしくも感じられ、400年の時の流れを忘れさせるほどです。 地震で注目された木曽谷の星が新関脇となる番付が発表されました。今回は新大関が話題ですが次は御嶽海関と力こぶを入れて応援しています。
標高270mのお山の急斜面に築かれているわけですから当たり前のことですが、ロープウエイ久能山駅から社務所を経て楼門をくぐるあたりから階段の多さに息切れしていました。二代将軍秀忠が大権現様の墓所は石段を連ねた一番高い所におわすように意識的に築いたのでしょう。
木曽町出身者としては25日早朝の震度5強には驚きました。愛知在住の身では御嶽山方面に向かってたいしたことがないようにと祈るばかりでした。幸い木曽町福島の実家では大きな音でびっくりはしたものの被害はありませんでした。ご心配ありがとうございました。(138タワーより御嶽山遠望)