いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

考えない時間

2008年12月31日 | 考える
インターネットは時間のごみ箱である、
とどこかで読んだが、まさにそのとおりだなぁと思う。

目的が手段に変わってしまう傾向が自分自身には
強くあると思う。

ちょっと調べ物を・・・と思いつつ、
気づいたら全く関係のないページを興味の向くままに見ていたりして。

かつてはドライブがそうだった。
目的地はなくても、ただ運転がしたいから車に乗っていた。

時間がないときのほうがやらなきゃいけないことが明確で、
時間に余裕があるときにはどうでもいいことに浪費してしまう。

TV、インターネット等、思考を必要とせず、
ただただ眺めているだけで時間だけが過ぎていくとき、
それは考えない時間であり、時間をゴミ箱に
どんどんと捨てているのだろう。

成長していないなぁ、と思う。
自分ももう人生の1/3は生きていると思うが、
なかなか成長ってできないもんだと思う。

居心地が悪い「エコ」

2008年12月30日 | 考える
エコ、ECO。
なんだか、居心地の悪い言葉だ。

マイバッグ使っているので、エコです!
マイはし使っているので、エコです!
自転車乗っているので、車に乗るよりもエコです!
・・・・

なんでかわからないが、この言葉を聞くと
居心地が悪い。
いくら考えてもエコの意味がわからない。
地球にとっては暖かいのが悪いのかどうかもわからないのに、
以前に比べて、南極の氷がとか、ツバルの水没が・・とか言われても、
結局困っているのは人間だけで、地球が困ってるわけじゃない。
動物だって、抗議活動するでもなく、問題が起これば被害を被って死ぬだけだ。

「地球に優しく」という言葉をどうにもすんなり受け止められない。

自分はむしろこう思う。
所詮人間の欲はコントロールできないから、
宇宙に出てゆけるほどの科学力を持って、
どんどん他の星に行けばいい。
地球よりももっと良い星があればこぞってそこに移住するだろう。
もしくは宇宙ステーションでもできればいい。
みんなが出て行けば、見向きもされなくなった地球は少しづつ、
元の姿に戻るだろう。
・・・元の姿?

エコの目標は何だろう。
いったい地球がどういう状態になればゴールなのだろうか。
最終目的が見えないということが居心地悪さを生んでいるのかもしれない。

集中力は研ぎ澄ませるか?

2008年12月29日 | 考える
集中力とは、塊のようなイメージである。

研ぎ澄ます、とはその塊が文字どおり
針のようにとがっている状態を思い起こさせる。

服を縫うとき、針は布の中に入ってゆく。
しかし、針ではない(たとえばコインのような)鉄は布の中には入らない。

何が違うかといえば圧力が違ってくるのだと思う。
研ぎ澄ましたとき、集中力は鋭く、細く、硬く、早くなる。
その尖った先で一点突破するその形状に変えることができることが
集中力を研ぎ澄ます、ということだ。

今年も終わるよ・・・

2008年12月28日 | 考える
今年もそろそろ終わりです。

年を重ねてゆくほどに時間の流れもあっという間になって
日常の小さな発見、喜び、悲しみ、そういうものに
だんだん気づかなくなってゆく気がしている。

いい歳になって、
子供が出来て、自分の立ち位置も変わってゆく。
だんだんと若い世代から、おやじ世代に、
託される側から、託す世代に。

先祖から連綿と続くDNAというたすきを
次の世代に続けてゆく。きっと許されるかぎり永遠に。

自分は大きな流れの中にあり、
それは切り離せない。

すごく遠くまで来た気がするけど
もう戻れないし、戻るのは意味がない気がする。

過去に戻れたとしてもきっと自分はまた同じ道を歩くだろう。

「去年」、「今年」など所詮人間の作った小さなものさし。
流れはとどまることもなく、区切りもない。

ただただ未来に向かって続いてゆくのだろう。


今年も考えがまとまらなかったよ。
発散してゆくなぁ。
それも自分らしい。