いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

溜まってゆく新聞(もしくは理想と現実のギャップ)

2005年01月31日 | 考える
新聞が溜まってゆく。
なぜか。
答えは簡単、読んでないからである。

できるだけ丁寧に読んでいると
時間を食うし、TVなどとは違って自分が主体となって
読んでいかなければならない。
忘れないようにある程度の集中が必要だ。

確かに新聞に載っているような記事と
自分の生活とはかなりかけ離れており、
海外ニュースにいたっては
ほとんど意味がないものもある。

だけど、とりあえず知っておきたいから読むのだが、
時間がかかってしょうがない。

きっと言い訳なのだということもわかっているし、
大人になったら当然世の中のこと(政治経済)は
知っていなければならないし、知っているべきである
といったような観点から読んでいるから
あんまり楽しくないのは事実である。

あらゆるところで、
自分の理想と現実とのギャップに
気付かされる。

人は無限の可能性はあるのだが、
取れる道はひとつしかない。

僕はどうやら立派ではない道を選んできたようである。
世の中のことには目をつぶり、
外界をシャットアウトすることにより
心の平静を得てきたような気がする。

自分にしかできないこと、
自分がはまるべき場所を探しているけれども、
それがどこなのかがまだわからない。
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これがどういうことだかわかるかい?

2005年01月30日 | 考える
飲み会の席で知り合いのおっさんに唐突に聞かれた。

o:「君は何歳?」
S_S:「30歳です」
o:「そうかー、30歳っていえばさぁ・・・・
  昔こういうコマーシャルあったでしょう?
  刑事コロンボのピーターフォーク扮する
  バーのマスターにサラリーマンらしき人が話しかける。
  『マスター、もう30歳になっちゃったよ』
  そうしたら、マスターはこう答える。
  『そうか、そうしたら来年は31だね』って。
  これがどういうことがかわかるかい?」

何を言うかと思ったら・・・

o:「歳なんか関係ないんだって、気付いたんだ。30だろうが31だろうがたいした問題じゃない。
  だから、焦る事ないよ。30歳だからって。
  僕は今年50歳になるけども、ぜんぜん年取った気がしないよ」
S_S:「・・・・そうすか」

あのー、私がいつ30歳になっちゃった、って言いました?
ぜんぜん歳を取ることを苦にしてないんですけど・・・
それに、歳を感じないってちょっとは50歳だって自覚を持てよ!
「歳相応な意識のない人」は私にとってはひどくかっこ悪いものに見えるのだけど。

ひとつだけ同意できることがある。
「歳は関係ない」ということ。
私はあなたのような独りよがりな意見を押し付ける50歳にはなりたくないこと!
以上!
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飲んでて楽しい女(ひと)とは・・・

2005年01月29日 | 考える
会社の派遣の女の子を交えて、飲みに行った。
彼女はそこそこかわいいし、非常識でもない
ごくごく普通の女性であるのだが・・・

飲み会で話していて、全く魅力を感じないのだった。
どうしてかな・・・と考えると
自分なりのいくつかのポイントがあることに気付いた。

・気が利くこと
・頭が良いこと(学力とは無縁のもの)
・バカなこと
・機転がきくこと
・自分の意見を持っていること
・素直なこと
・何か「語れる」ものがあること
・個性が強いこと
・酒が飲めること

これらすべてを満たす人なんていないとは思いますが・・・。
書いてて悲しくなってきた・・・自分のことを激しく反省です。
こんなこと考えているから、独身なんだな・・残念!
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足元を見る

2005年01月28日 | その他
時間があったので家で革靴を磨いた。
面倒くさいのだが、紐をはずし
汚れを落とし、そのあとクリームをぬってゆく。

こういうメンテナンスは嫌いではない。
ちょっと前までは自転車も分解して
清掃、調整していたものだが
さすがに最近は空気を入れたり、脂をさしたりする程度だ。

手入れをしてやれば物は長生きする。
本当にちょっとしたことなのだと思う。

------
電車などで、スーツはきれいなのに、
明らかに靴だけ汚い人がいる。
手入れすればいいのに・・・といつも思う。

人は見てないようで見ているものだ。
営業ではないので仕事で人に会う機会は少ないが
「足元を見られないように」したいものだと思っている。
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できることを・・・

2005年01月27日 | 考える
みんなが私に何をしてくれるだろう。
今日はどんなよいことがあるのだろう。
この人は私を幸せにしてくれるだろうか。
何かラッキーなことないかなぁ。

でも、こうも思う。
私はみんなに何ができるだろう。
今日はどんなよいことができるだろうか。
この人を幸せにできるだろうか。
自分を受け入れて精一杯努力しているだろうか。

両手に持った自分は大切だと思っているものを離した人だけが、
新しいものを掴むことができるのでは。

自分にできることをしようと思う。
たとえ歯車のひとつに過ぎなくても。
ギアがついていれば、力は伝わるだろう。

終わりがあるから、今やるしかないのだ。
永遠の命であるならば、いつかやればよい。

外に探すものは内にあり、
内にあるものは外にある。

問いつづけてきた。
だけど気づくのだ。

問いつづけてきたのではなく、
問われつづけてきたのだと。

人生という問題集を渡され、
その都度その都度に出す答えを。
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集中

2005年01月26日 | 考える
見ようと思わなければ、
見ることはできない。

見ているようでも、
それは目に映っている、
視界に入ってるというだけで、見ていることにはならない。

すべての人に同じような環境が与えられているが
その中から何を選び取ってきたかが
その人を表している。

この時代、この環境、周りの人々との接し方そういう素材に
「自分」というフィルターを通したら
「人生」が出てくるのだろう。

まわりを見回して、
何に集中しなければいけないのか、
それに気付いた人は勝者となるが、
気付かずに間違ったものに集中した場合、
もしくは何も考えず、ぼーっとして生きた場合は敗者になる。

料理を作るときに、
材料のよしあしもあるだろうが、
目的を持って作るのと行き当たりばったり作るのでは
できるものが違うように
何か目標を持ってそれに集中することが
必要なことなのかもしれない。

感知-把握-目標-集中

最初に正確に公平に物事を捉えなければ
あとがすべて間違ってしまうが、
いまだ、その公平な基準を持たない。
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運動の家庭教師

2005年01月25日 | 考える
朝、NHKのニュースを見ていたら、
「子供の運動の家庭教師」のことが取り上げられていた。

結構なカルチャーショックだった。
以前仕事で都内の中学校に行ったとき、
校庭が土ではなかった(競技場のような舗装)ことに次ぐ
ショックだ。

しかも何か特定の協議などではなく、
友達と遊ぶ時間が合わないからなどの理由で
走ることや、二重飛びの練習やらをしていた。

昔はお父さんや友達がやっていたことを
今はお金を払ってサービスで買うのだな
と、ちょっと寂しい気持ちになりました・・・。

子供のときは運動でも友達に勝てず、
上手い人をよく観察して真似てみたり
なんとか自分で工夫して努力したり、
図書館で本を見て練習したりしていたけど
今はそういうことあんまりはやらないのかなぁ。

自分は自然いっぱいで、広場があって、
子供のころは真冬でも外で駆け回っていたので
そういう感覚はこれからの世代には通じにくいのかもしれないと思う。
都市部の子供を取り巻く環境は本当にさまざまだなぁと、
妙に感心してしまった。
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無表情と心の漣

2005年01月24日 | 考える
どうやら自分は、
考えていることが顔に出る(!素直な!)人間のようだ。
それゆえにわかりやすいと言われることもある。

その一方で何を考えているのかわからない、
普通にしているのに怒っていそうなどとも言われる。

本当は感情に起伏が激しく、
少しのことで機嫌を損ね、
少しのことで機嫌がよくなる。
また、そういう自分が小さく見えて、
その感情の起伏の激しさを疎ましく思っているので、
いつも感情に振り回されないように、
無表情を装っている。

それがよいことか悪いことかわからないが、
きっと対人関係においては
プラスに働いているものと信じている。

人格というか、気分というか、人柄というか、感情というか
そういうものの「安定性」は思っているよりもきっと重要だ。

いつもどんなことが起きてもあわてることもなく、
怒りもせず、淡々としている人がいる。

そういう人になりたいと思うのだけれども、
自分の心は少しのことで揺れてざわめく。

一人で生きるなら感情に振り回されても
思いのままに生きればそれでよい。
だけど、人とともに生きるには、
やはりその対価として多少の自由を差し出し
窮屈に耐えつつ行くしかないだろう。
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上達を実感!

2005年01月23日 | テニス
久しぶりに一日中テニスだった。
外は寒く、午後には雪になってきた。

テニスはドラクエのように自分のレベルアップが実感できた。
今まで見えなかった、ボールが見える。
サーブが返せる。コースを狙える。
差はまだまだあるものの、「近づいている!」
という実感がある。

ある程度うまくなった人はテニススクールに行くことをやめるが
やめた人に地道にテニススクール通っている自分は少しずつでも
近づいているのだな・・・と思った。

上達には近道なんかなくて、
ただ練習練習。地道な道を行けばいつか花開く。
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第一印象はめったに外さない

2005年01月22日 | その他
人と初めて出会ったとき、
第一印象から何を受け取るのだろう。

何かしらの非言語メッセージを受け取り、
自動的に好悪が決定される。

そのなかでも印象が悪くないのに、どうしても好きになれない場合がある。
それは説明できないのだが、何か違和感を感じるのだ。
そして悪いことにその勘は大体当たる。
印象は悪くないので付き合ってゆくと、
しばらくしてどこかでその人のいやな面を目にして
ああそうか、だから何か違和感を感じていたのだなと
思い当たることになる。

第一印象は大切だとは思うが、人は意外に見た目(外見)だけではなく、
体格やら、しぐさやら、気配りやら、感情表現や言い回しなど。
いろいろなものを見ているのだと思う。

なぜだか知らないがそういうものを総合して、
その人の第一印象が決まる。

ふと考えて、友達に自分の第一印象を聞いてみた・・・・(コワイ!
・むすーっとした顔をしていた。
・無表情で怖い
・愛想がない
・口を利いてくれなかった
・機嫌悪そうだった

だめじゃん、俺!
えーと・・・・合掌!(T人T)チーン!
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