いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

おっさんの年末年始(1/6)

2021年12月30日 | 考える
今年は6連休か。
2021年は引き続きなんということもない1年だった。
思い出が少ないなぁ。
来年こそは新しい趣味を開拓したいけどどうなることやら。

年末年始の予定は・・・
やりたいこともないのでゆっくりするつもり。
12月30日 1/6 テニス2H
12月31日 2/6 とくになし・・・
1月1日 3/6 とくになし・・・
1月2日 4/6 とくになし・・・
1月3日 5/6 とくになし・・・
1月4日 6/6 買い出し。通常運転へ。

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断捨離しない

2021年07月21日 | 考える
使わないものが多すぎるということで始まった断捨離ブームだけど、
自分自身はそこまでシンプルだろうか?

人はデジタル的な存在ではなく、究極のアナログな存在だ。
それは精神が身体を駆動しているからだ。

だから機械とは違っていつも同じことをするとは限らない。
考え方や行動に振幅がある存在だと思う。この時にはこれが必要だけれども、
この時は不要、逆にその時には不要だったけど、今は必要。
環境やら、体調やら、気分やらで、突然にそれまで不要だったモノが必要になる。

自分自身はモノは持てるだけ持って生きていたい。
要、不要という尺度は確かにわかるのだけど、無用の用もある。

生活必需品、利用価値の有るモノだけに囲まれていても
こころは満たされないのも人の特性であると思う。
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ひとり2人3脚で生きる

2021年07月20日 | 考える
自分の1番の理解者は誰だろう・・・

自分自身かな?

いや、きっと違うな。

自分自身のことが1番よくわからないからな。

自分の中に教師(清く、正しく、美しい)がいる。

その教師がもう1人の自分を教え導くのだけど、

もう1人の自分は怠け者で、自由にしたくて、配慮も足りない、今が良ければよいと考えるダメな奴。

僕はいつでも2人3脚で生きてきた。自分自身の中で役割を分担して。

いつも正しい道はわかっているけど、その通りにできない自分がいて。

ちょっとした我慢や、ちょっとした思いやりや、ちょっとした言葉・・・

そういうものが不足して、人とは一緒にいれなくて、今日も孤独を選んで自由気ままに生きている。

孤独ではないのかもしれない、と最近になって気づいた。

自分に問いかけて、自分で答えてきたんだ。

そう考えると僕はいつも1人ではなかったのかもしれない。

正解はいつも知っていたんだ、ただそれができないだけで。

だけど、もういいんだ。

自由や個性を捨てるくらいなら、他のものは何も手に入らなくてもよい。

自分自身であることは捨てられない。

自分は、それとともにある。永遠に。
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両面を使い分ける

2021年07月19日 | 考える
本を読んでいて、強く感じたので忘れないように書く。

自分自身では、自分のことを飽きっぽくて、気まぐれだと思っている。
意見や考えに一貫性はなく、その時々で考えがコロコロ変わる。
そんな自分のことはあまり好きではなかった。

自分は双子座だからなのか、子供のころから2面性を感じている。
逆に2面性があることを忘れないように双子座で生まれたのかもしれない。

最近その2面性が2つの言葉に収斂してきている気がする。

「自助努力」と「無為自然」だ。

なぜだか知らないけど、子供のころから「成長する=自由になる」というふうに考えていて、
何よりも自由であることが好きな性格なため、努力して成長することはあまり苦にならない。
「自助努力」だ。

しかしそれをやり続けると、ある程度続くと全く飽きてしまって、全く努力しなくなる。
そうすると自分の中を「無為自然」が支配し始める。

「そのままでいいじゃないか、成長なんかしなくても、そのままの自分でいいじゃないか」という
気持ちで満たされ、何もかも面倒になっていい加減な日々を送ってしまう。

きっと自助努力だけで生きていければ、もっと良い人生を生きれたという気もするけど、
これが自分自身だから仕方ない。

このままずっと行くしかない、と思っている。
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他人から拒否されたと感じた出来事を思い出したけど・・・

2021年06月05日 | 考える
最近漫画のドラゴンボールを読み返す機会があり、
読んでいたら唐突に昔の出来事を思い出した。
すごく個人的かつ他の人から見たらくだらないことなんだろうけど。

それは、小学校5年の時だったと思うが、クラスで学級委員を決めることになり、
「だれか立候補か、推薦はいないか」と先生が言ったので、
「どうせ誰も立候補しないのなら、やるかな」と考えた私は立候補したのだけれど、
誰かが手を上げ、O君を推薦したため、立候補した自分と、
推薦されたO君とどちらにするかでクラスで投票が行われた。
(今にして思えば、なんで投票があったのかよくわからないけど、普通は立候補した人じゃないの?)

結果、投票の結果はO君が多数で私は学級委員にはなれなかった。

その時に、「あぁ、自分はクラスのみんなには必要とされていないのだなぁ」と思った。
それを機に何かの「役」に立候補することや、「他の人のために何かしよう」という気持ちが急速になくなった。

学級委員は自分のことだけでなく、他の人を気にかけ、作業もしなければならず子供にとっては面倒で負担だ。
だけど、「人のために尽くすことはよいことだ」と教わっていた私は
やってもいいかと考えたのだけど、私が学級委員になることはクラスのみんなは支持してくれなかったのだ。

今、振り返ると、何とも言えない気持ちになる。
クラスのみんなからNoを突きつけられたような気がして、他人への不信感の元になった出来事だったと思う。
でもまぁ、よくよく考えたら、ただ単に自分勝手かつ被害妄想だっただけで、
この出来事に囚われる必要性は全く感じないけど、当時はショックだったんだろうな。

今では取るに足らない話だけど、
漫画を読むと当時の記憶がよみがえるという話でした。
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努力、一番嫌いで、一番好きな言葉

2021年02月21日 | 考える
自分はどんな姿勢で生きているのかと考える。
ブログから拾って自分を見てみると・・・

個性を発揮したい。
役に立つ人間になりたい。
成長したい。

思っているようだ
そうすると、その3つをつなぐものは「努力」となる。

あー、努力ははっきり言って嫌いです。
だけど、役に立たない自分、他人に寄りかっているような、依存するような自分はもっと嫌いなんだ。
だから、自分は成長できると信じて、いやだけど、少しづつ努力していこうかなと思ってます。
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努力の方向(積み上げ式、逆算式)

2021年02月20日 | 考える
逆残式が苦手だ。

目標を決め、そこに至る方法を(実現性は置いていて)ありったけ出し、
その中でやれることをやっていく。
自分にできないのならば、できる人を探すか、同じ効果が得られる
他の手段を実行するか。

そんな逆残式はとにかく大変だ。
なんせ、自分ができる、できないは関係なく、
やらなければならないことが先に来るため、うまくいかないことが多い。
なんせ初めてで勝手がわからない。

現状できることや、それにプラスアルファをやっているほうが進んでいる感もあるし、
やり切った感もある。

だったら、目標など持たずに毎日を流されるまま生きればよい。
昨日と今日は同じような日々が続いていくだろう。

だけど、積み上げ式で当てのない努力をしたり、もしくは何も積み上げず、
同じような毎日を過ごしていくだけでは、
行き詰まる(というよりも息詰まるか・・・)ことになる。
自分が感じる閉塞感はそういうものなのかもしれない。

積み上げ式が逆算かという議論はよく見かけるし、
積み上げ式はイノベーション起こせないという話もよく聞くが、
そういうことを言いたいわけではない。

努力ができるのは、
達成したい目標がその努力に足る内容だと心底思える時だ。

目標とは未来になりたい、手に入れたい状態であって、その状態になるように
努力を積み重ねて、いつの日にか至るものだと思う。

その方法がわかっているのであれば、その方法をひたすらに行えばよいが、
わからない場合には「潜在意識(要は理想を念ずるということ)」を使用する必要があるし、
手探りでもできることは努力を行うべきだと思う。

目標=未来の望ましい状態
方法がわかる=①逆残式で努力or②積み上げ式で努力
方法がわからない=潜在意識に願う(それが実現することが自分と他人に善であることが前提)
        =その目標に対して一歩でも半歩でも近づけるような、今の自分にできることを行う(努力)。

自分自身は忙しいのは嫌なので、向上など考えずに漫然と毎日を送りたいのだけれど、
そういう毎日を続けていことにも耐えられないという
どっちつかずの中途半端な考えの人間だなぁと日々考えている。

要するに、
朝早起きは「もっと寝ていたいからいや」だけど、昼くらいに起きたら起きたで「半日無駄にした」と
考えてしまうから厄介だ。
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心の3毒「瞋」

2020年11月15日 | 考える
日常生活で自分に非がないのに、不利益を被ることがある。
最近立て続けに不利益を被ったので、怒りが込み上げてきたが、
夜に自分にも非があったのではないかと反省した。

①映画館で前売り券を持っている場合の予約端末の操作を係員に聞いたが
 誤った情報を教えられ、予約端末の前で5分ほど操作していていたが
 どうしても席が取れないので、係員をもう一度呼んで確認すると、
 窓口でないと処理できないと言い出した。
 こちらとしては前売り券だと伝えていたが、係員は種類の異なる
 前売り券だと認識していた。

②ホームセンターで買った土を使用後に引き取ってもらおうと
 サービスカウンターに持っていったら、レシートがないと引き取れないと
 言ってきたので、土の袋に書いてある引き取りスキームには
 レシートが必要とは書いていない旨を説明し、園芸売り場に確認してもらって
 結局園芸売り場で引き取ってもらった。

書いているとたいした話じゃないが、時間を無駄に使われるし、
こちらには非がないつもりなので、
ついつい不機嫌になってしまう。

しかし、よくよく考えれば、①に関しては券を見せればよかったのだし、
②に関してはおっくうでも園芸売り場に行けばよかったのであって、
それによって自分の機嫌を損なうほうが損なのだと思った。
非がないと思うものの、入り口を間違ったのかなぁとも思うし、
もっと上手なコミュニケーション方法(相手のレベルを見て対応を変える)
があったのだろうし。

たとえ自分が非がなく、正しくとも、怒ることに何の良いこともない。
(教育など必要性があり、理性的に起こる場合には良いと思うが)

仏教でいうところの心の3毒の「瞋」に引っかかってるなあ、
と思った次第でした。
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国の強さとは

2020年06月23日 | 考える
最近、「日本」という国を考えることがある。
教科書で習った「日本」は自虐史観が強く
自分は受け入れられなかった。
戦争は良くはないが、自己が望むと望まざるとに関わらず、
巻き込まれることはあるから、それに対する備えは必要なんだろう。

いろいろな本を読むと、国にとって大事なことは
3点ありそうだ。
①軍事力
 →他国から攻められないための抑止力としての
  核を持つべきなんだろう、隣国が物騒なので。
②エネルギー
 →エネルギーはすべての源。エネルギーがなければ
  産業が成り立たないし、生活にも支障をきたす。
  輸入だのみだわ、原子力も稼働縮小で大丈夫なのかなぁ。
  第2次世界大戦はエネルギー止められたことへの自衛戦争だし。
③食料自給率
 →自国の食料が不足すれば、輸出をしようとする国はない。
  輸入頼みの日本は大丈夫なのだろうか。
  蝗害でも日本に食料を輸出してくれるだろうか・・・。

忘れないように書いておく。
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オンライン飲み会

2020年05月03日 | 考える
巷ではコロナによる外出制限によりオンライン飲み会が流行っているという。
テニスの仲間に呼びかけてみたものの、誰も話に乗ってくる人はなし。

ノリ悪いなぁと思っていたけど(←お前が言うか?)
そもそもこのご時世で
「自分だけの部屋があるおっさんがそうそういるわけではない」
とMに言われて、納得。

自分は知的生活をするべく、
家の1部屋を使っており、本箱も壁一面に並べており、
今夏は在宅ワークもあるのでエアコンを取り付ける予定。
家族がいても、一人になれる部屋が欲しいし、
何かをじっくり一人で考えたいときがあるからだ。

まぁ、そういう人は少数なのだろうと考え直して、
ノリが悪い→オンライン飲み会をやってみたいが環境がない
という解釈に勝手に切り替えて、人を悪く思わないことにした。
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