逆残式が苦手だ。
目標を決め、そこに至る方法を(実現性は置いていて)ありったけ出し、
その中でやれることをやっていく。
自分にできないのならば、できる人を探すか、同じ効果が得られる
他の手段を実行するか。
そんな逆残式はとにかく大変だ。
なんせ、自分ができる、できないは関係なく、
やらなければならないことが先に来るため、うまくいかないことが多い。
なんせ初めてで勝手がわからない。
現状できることや、それにプラスアルファをやっているほうが進んでいる感もあるし、
やり切った感もある。
だったら、目標など持たずに毎日を流されるまま生きればよい。
昨日と今日は同じような日々が続いていくだろう。
だけど、積み上げ式で当てのない努力をしたり、もしくは何も積み上げず、
同じような毎日を過ごしていくだけでは、
行き詰まる(というよりも息詰まるか・・・)ことになる。
自分が感じる閉塞感はそういうものなのかもしれない。
積み上げ式が逆算かという議論はよく見かけるし、
積み上げ式はイノベーション起こせないという話もよく聞くが、
そういうことを言いたいわけではない。
努力ができるのは、
達成したい目標がその努力に足る内容だと心底思える時だ。
目標とは未来になりたい、手に入れたい状態であって、その状態になるように
努力を積み重ねて、いつの日にか至るものだと思う。
その方法がわかっているのであれば、その方法をひたすらに行えばよいが、
わからない場合には「潜在意識(要は理想を念ずるということ)」を使用する必要があるし、
手探りでもできることは努力を行うべきだと思う。
目標=未来の望ましい状態
方法がわかる=①逆残式で努力or②積み上げ式で努力
方法がわからない=潜在意識に願う(それが実現することが自分と他人に善であることが前提)
=その目標に対して一歩でも半歩でも近づけるような、今の自分にできることを行う(努力)。
自分自身は忙しいのは嫌なので、向上など考えずに漫然と毎日を送りたいのだけれど、
そういう毎日を続けていことにも耐えられないという
どっちつかずの中途半端な考えの人間だなぁと日々考えている。
要するに、
朝早起きは「もっと寝ていたいからいや」だけど、昼くらいに起きたら起きたで「半日無駄にした」と
考えてしまうから厄介だ。
目標を決め、そこに至る方法を(実現性は置いていて)ありったけ出し、
その中でやれることをやっていく。
自分にできないのならば、できる人を探すか、同じ効果が得られる
他の手段を実行するか。
そんな逆残式はとにかく大変だ。
なんせ、自分ができる、できないは関係なく、
やらなければならないことが先に来るため、うまくいかないことが多い。
なんせ初めてで勝手がわからない。
現状できることや、それにプラスアルファをやっているほうが進んでいる感もあるし、
やり切った感もある。
だったら、目標など持たずに毎日を流されるまま生きればよい。
昨日と今日は同じような日々が続いていくだろう。
だけど、積み上げ式で当てのない努力をしたり、もしくは何も積み上げず、
同じような毎日を過ごしていくだけでは、
行き詰まる(というよりも息詰まるか・・・)ことになる。
自分が感じる閉塞感はそういうものなのかもしれない。
積み上げ式が逆算かという議論はよく見かけるし、
積み上げ式はイノベーション起こせないという話もよく聞くが、
そういうことを言いたいわけではない。
努力ができるのは、
達成したい目標がその努力に足る内容だと心底思える時だ。
目標とは未来になりたい、手に入れたい状態であって、その状態になるように
努力を積み重ねて、いつの日にか至るものだと思う。
その方法がわかっているのであれば、その方法をひたすらに行えばよいが、
わからない場合には「潜在意識(要は理想を念ずるということ)」を使用する必要があるし、
手探りでもできることは努力を行うべきだと思う。
目標=未来の望ましい状態
方法がわかる=①逆残式で努力or②積み上げ式で努力
方法がわからない=潜在意識に願う(それが実現することが自分と他人に善であることが前提)
=その目標に対して一歩でも半歩でも近づけるような、今の自分にできることを行う(努力)。
自分自身は忙しいのは嫌なので、向上など考えずに漫然と毎日を送りたいのだけれど、
そういう毎日を続けていことにも耐えられないという
どっちつかずの中途半端な考えの人間だなぁと日々考えている。
要するに、
朝早起きは「もっと寝ていたいからいや」だけど、昼くらいに起きたら起きたで「半日無駄にした」と
考えてしまうから厄介だ。