[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
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児島惟謙と大津事件

2005-05-27 | 歴史カレンダー
1891年の今日<5月27日>、大津事件でロシア皇太子を斬りつけた津田三蔵に対して、大審院が政府の大逆罪適用の要求を退けて、一般人への謀殺未遂罪を適用し無期懲役判決としました。

これは中3社会科の公民で勉強する「司法権の独立」に関する最も代表的な事件です。

1891年(明治24年)5月11日、日本を訪問中のロシア皇太子ニコライに、滋賀県大津市で沿道警備中の巡査(警察官)である津田三蔵が突然サーベルを抜き、斬りかかったのでした。

津田巡査はすぐ取り押さえられ、皇太子は額に2ヶ所傷を負っただけで命に別状はありませんでしたが、あとの日程をキャンセルして数日後帰国しました。逮捕された津田三蔵巡査は、ロシアの強圧的な態度を不快に思っており、皇太子に一太刀を加えて、「彼ノ心ヲ寒カラシメントセリ」と動機を述べました。

当時日本はまだ国際舞台に登場してから30年の弱小国、相手は世界屈指の軍事力を擁するロシア帝国ということで政府は震え上がり、津田三蔵を死刑にしないとロシアと戦争になると恐れて裁判所に圧力を掛けました。

法的に見ると被害者が日本の皇族であれば死刑を宣告することが可能でしたが、相手は外国の皇族であり、法律上は一般人と同じ扱いになります。従って怪我を負わせただけなのに死刑を宣告することは法的には無理がありました。そして、大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙(これかた)は法治主義の立場から政府の圧力をはねつけ、法定刑内で「無期懲役」の判決を下しました。この事件により、児島が政府の圧力に屈せず、司法の独立を守った事件として語り継がれることになりました。

児島惟謙は、私の母校である関西大学(前身は関西法律学校)の創立者でもあり、私は大学時代、法学部の学舎へ通う道すがら、毎日彼の銅像を目にして大志を抱いていたものでした。

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