本日は!
1980年 の話。
当時、
大好きだったテレビ番組は
NHK 『若い広場』
矢沢永吉 が出演した時、
音だけをカセットテープに録音した。
当時、
岡山の高校を卒業して
京都に旅立つ頃で、
そのカセットテープは何度も聞いた。
覚えている 矢沢永吉 のメッセージは・・・・
「サラリーマンになって
±0でボチボチ生きるのか?
それとも、+10を目指して生きるのか?
プラスの10を目指せば
マイナスの10を覚悟しろ!」
なるほど、その通りだ! と思った。
それから、
建築家 を目指しているうちに
気づいたことは・・・・
建築家 として売れても ±0 の世界。
建築家 として売れなければ -10 の世界。
建築家 としての +10 の世界は無いということ。
建築家 の第一歩は
性分に合わない仕事を 断ること だと学んだ。
当時、
著名な 建築家 は
驚くほど収入が低く、貧乏だった。
金には転ばない気骨があった。
著名な 建築家 のスタッフなんてのは
みんな -30 の世界だった。
あの頃、みんな
ゴキブリが這う、事務所のPタイルの上で
ダンボールを敷いて寝ていた。
図面を描いているか?
模型を作っているか?
ダンボールで寝ているか?
生活のための
肉体労働バイトに出かけてるか?
この繰り返しだった。
あの頃の貧乏話には事欠かない。
それからウン十年も経って・・・・
今、
糸島での生活水準は -12 くらいだと思う。
少しは進歩した。
世の中、
心を売って、プラスの縁にしがみついて身体を悪くするよりは
好きなことをやって、おもしろがって生きるほうがよっぽど
健康的だと思います。
ではプラスにはいつ転じるのか??これがまだ見えないんですよネエ・・・。