本日は!
打瀬船 「内海丸」 の話。
鞆の浦 を後にして、
阿伏兎ノ瀬戸の
打瀬船 「内海丸」 を探しに行った。
打瀬船とは、
明治から昭和8年頃まで
鞆の浦 を含む瀬戸内海一帯で
活躍していた帆船。
かつて、
鞆の浦 や 内海町 の海には
130艘にのぼる打瀬船が操業していたという。
平成元年、
打瀬船 「内海丸」 は、
沼隈郡内海町で 町興し 用に復元され、
今は引退して、
ひっそりと陸揚げされている。
全長16㍍ 船幅3・35㍍ 帆柱9㍍ 7㌧
帆布(縦)6・40㍍ 横(上部)4・20㍍ (下部)5㍍
木造船でありながら、
ポリのFRPで巻かれた船体が哀しいが、
私の見た限り、
この船は、まだ死んでいない。
まだまだ、現役として活躍できるだろう。
宇和海の
密航漁夫 吉田亀三郎 ならば、
太平洋を渡り、カナダへ密航することだろう。
打瀬船 「内海丸」 は、
このまま陸上で、
船としての生命を絶たれるのだろうか?
町興し とは、
いったい何だったのだろうか?
この船の余生と私の余生が、
ほぼ、同じであるならば・・・・
家船 という
私の住居として
甦らせることはできないものか?
と考える。