ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

Franz Marc

2009-12-08 | パパ
今日は、抽象絵画へと傾倒しながらも表現主義の立場を離れることのなかったドイツの画家フランツ・マルクの話。



パウル・クレーは日記に書きとどめている。
-3月4日、友人フランツ・マルク、ヴェルダン近郊にて戦死-
そう、マルクは36才の若さで、道なかばにして、この世を去ったのです。
戦死の3週間前に、故郷の母あてに、次のような手紙を書き送っている。
「いまになって、僕は死を、にがい、愁いにみちた気持ちで眺めています。・・・僕が、死をにがにがしく思うのは、未完成の作品を残してきたという痛恨の情からです。作品を完成させること、これこそ僕が全存在を賭けた生の意味だったのに・・・。僕の生きようとする意志は、まだ描かれていないタブローのなかにひそんでいるはずです。」
マルクの絵画への思いが強く伝わってくる反面、死が現実となってしまったことを思うと、悲しみはいっそう深い。そして、動物が自然の中で静かに佇んでいる彼の絵は、鑑賞する者の心に、感慨深いなにかを刻み込む。



マルクは短い生涯の間に、たくさんの動物の絵を残している。
「馬が世界をどのように見ているか。もしくは鷲が、鹿が、犬が?なんともひどい話だが、動物たちが見ているものを推測するために、我々は自身を動物の魂に置いてみる代わりに、いつも我々の眼が見ている風景の中に動物を置くということをするのである。」
マルクは純粋に動物画を描こうと思ったのでもなく、また感傷的に動物を見ようとしているわけでもなかったようである。彼が動物に見出していたものとは、そのフォルムの美しさも当然あったようだが、それよりも絶望の叫びをあげるでもなく、沈黙のうちに、生そのものを身体全体で受けとめ、自然と一体となって存在している動物のたくましさだった。それは、人間が忘れてしまった純粋に調和的な存在といえる。彼は言っている
「現在の不信心な人間たちは、真の感情をよびさます術を忘れている。むしろ動物たちのものに動じない生命感のほうがほんものではないか」と。



クレーは書き記している。
「この世界が恐るべきものに変われば変わりはてるほど、それだけいっそう、芸術は抽象的になるのだ」たしかに、自分の周りが美しければ、それを描き写そうとするし、世界が見るに耐えないものであれば、べつの何かを描くしかない。世の中がすさむほどにネット社会が栄えるのも同じようなことかもしれない。

戦争勃発の直前にマルクは、オーストリアの国境に近い山間の地に家を建て、馬や鹿などの動物を飼って暮らし始めた。この頃から、戦争の予感のようなものを感じはじめたのか、抽象的な絵画へと向かっていく。



しかし、彼は最後まで動物の絵を描きながら、短い生涯を駆け抜けていった。たぶん、戦争という人間だけが引き起こす世界とは関係なく、けなげに生きている動物たちが自分の周りに存在していたからでしょう。

動物が描かれた戦場からの多数の手紙や葉書、そして抽象的なフォルムをもつ作品で埋め尽くされたスケッチブックを残して、1916年マルクは帰らぬ人となった。馬に乗り軍需物資護送隊を迎えに行く途中、手榴弾の破片に当たり馬丁の腕の中で息絶えたのだという。

1913年の大作「青い馬の塔」は、第二次世界大戦中のナチスの荒廃芸術弾圧を逃れたが、その途上で行方不明となった。戦後を50年以上経た今も、発見されずに、どこかをさまよっている。



「ときどき、僕は生きていることに、クラクラめまいするような不安をおぼえます。それは人間を襲う集積で、こんなとき、人は祈ることのできる神を、自分の手でつくり出さねばならないのです。」 Franz Marc

最新の画像もっと見る