ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

人類の痛み

2010-01-17 | パパ
新聞にセンター試験の問題が掲載されていた。その中の国語の現代文が面白い話を取り上げていたので紹介。
フロイトによると、人類は過去に3度ほど自尊心を大きく傷つけられたようだ。
一つ目は、コペルニクスの地動説によって。



コペルニクスが生きた15世紀~16世紀にかけては、古代から受け継がれたプトレマイオスの天動説が、西洋における宇宙観の基本であった。しかし、コペルニクスは、地球を宇宙の中心的存在からただの惑星のひとつに変えてしまった。これは、天動説を根底から覆すものであり、科学史全体に大きな影響を与えることとなった。ただし、当時のキリスト教神学は地球を中心と考えられていたため、教義に反すると異端尋問にかけられ、火あぶりにされるので、コペルニクス自身は生きている間は、この考えを公表しなかった。この考えは、のちのケプラーなどに受け継がれて物理学へと発展していく。神学から科学への時代の転換をもたらしたのが、コペルニクスの地動説ともいえる。

二つ目はダーウィンの進化論によって。

  

ダーウィンの進化論は3つの柱からなる。
1.生物の変異
生物は同じ親から産まれた子どもであっても持っている性質や特徴が異なっている。足の早いシマウマもいれば、遅いシマウマもいる。

2.変異の遺伝
変異は一世代で終わるのではなく、何世代も受け継がれていく。だから、どの時代にも足の速いシマウマと遅いシマウマが存在する。

3.生物間の生存競争
ライオンの獲物としてシマウマを考えた場合、足の遅いシマウマは捕まりやすく、足の速いシマウマだけが生き延びられる。そして、長い年月ののち、足の遅いシマウマは自然淘汰され、足の速いシマウマが主流となる。しかし、環境が異なれば違う条件の自然淘汰が起こり、別のシマウマが主流となる。

当時、進化論は多くの批判を受け新聞などではダーウィンを揶揄する風刺画が掲載されたり、学校教育の場で教えるかどうかの裁判が開かれたりと多くの注目を浴びる理論であった。今では当たり前のように、人間の祖先は猿だと理解していますが、当時は相当ショックを受けた人が多くいたのでしょう。
彼の有名な言葉がある。

「生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能の高いものでもない。
変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである。」

今の社会を見て、われわれに向かって投げかけているような言葉です。

3つ目は、フロイトの無意識の発見によって。



神経症の治療に携わったフロイトは、そこで神経症の患者たちの中に、自らの意識(自我)で自己を制御できず、原因不明の感情や衝動に駆られる人間を幾つも見て、意識では制御不能なメカニズムが心理を支配しているという思想を抱くようになる。そうしてフロイトは、心の中には意識の領域をはるかに超える意識できない領域があるという結論に達し、それを「無意識」と名付けた。この考えは、西洋において、神を乗り越え、自己の主体性(人間性)を獲得し、理性的個人として世界をコントロールできるとする世界観に暗い影を落とすことになる。
彼は言っている。
「破壊本能の支配に成功しないままの盲目的な科学技術の進歩は、人類の自己破壊を招く」と。
人間のほんとうの恐ろしさを人間自身が受け止めなければならないということでしょうか?

アダム・スミス、マルクスといった流れの中で、資本主義は人間を中心とする考えであった。しかし、それは錯覚であり、資本主義は、実は差異(賃金の差異、ものの差異)を媒介として利潤を生み出す機構でしかなく、人間を周縁に排除していくことが、現代のポスト産業資本主義の中で露呈してくる-つまり人類にとって第4の痛み、というのが、センター試験の問題文が主張するところである。

センター試験の問題にざっと眼を通して、これだけの知識量が大学に入るとともに、ごみのように捨て去られるのだろうかとふと感じた。大学は、定年を迎えるまでの人生で唯一、時間を合理的な観点以外で自由に使うことのできる貴重な時期です。勉強だけでは、面白くありませんが、遊びだけでも心がむなしいものです。試験の時だけでなく、生活の中に学びを取り入れることで、ひょっとしたら、一生を左右する思想や考え方に出会えるかもしれません。

作家の山崎豊子さんは言っています。
「大切なのは勉強です。私の青春時代は学徒動員に奪われたので、勉強がしたいんです。もし、神様が一つ願いをかなえてくれるなら、私の青春時代を返してほしいと伝えたい。そして、もっと勉強したかった・・・」と。


人生は何かを深く学ぶには短いのだから。




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