畑倉山の忘備録

日々気ままに

“借りた金はもらったも同然”

2017年02月27日 | 鬼塚英昭

窪田博幸の『日本の資産家---この現代を支配するもの』(1963年)から引用する。

「 “借りた金はもらったも同然”

第二の問題は、復金〔復興金融金庫〕の金は返したかという点である。これを考えるとき開発銀行〔日本開発銀行〕について見なければならない。開発銀行は〔昭和〕26年に新設され、総裁は小林中、その任務は大会社に設備資金を貸付けること、資金は政府財政(財政投融資)・復金貸付回収金などである。つまり昭和電工が復金から金を返すならば開銀に返すことになる。ところが開銀は復金や見返資金のコゲツキ貸を巨額に背負っており、ことに「復金はもらったも同然の金だ」と放言している経営者もいる。炭鉱などに貸した金は開銀のほうでもー応不良滞貨として帳簿上切り捨てておくという。つまり返さないのである。」

さて、ここからが本番である。開発銀行を吉田茂首相が小林中を迎えて作った秘密が語られている。吉田茂、白洲次郎、そして麻生太賀吉の謀略が見えてくる。

「それを証明する例はー時国会で問題になったが、開銀から麻生産業(麻生太賀吉)に長期融資として四〇億円を貸したところ、麻生産業には借入金として四億一千万円しか帳簿にのっていなかった。三六億円は誰のふところヘ入ったかという疑問である。こういう回収不能の金は開銀の欠損とされる。だがこの欠損は毎年の報告書にはのせない秘密事項である。開銀や復金など政府関係機関の報告書は利子や事務費などを収入・支出に書き入れるだけであり、どの会社にどれだけ貸し、どれだけ返したかという肝心な点は報告書に含まれない。“国家の機密”がー番肝心なことをかくしている。」

ここに吉田茂、白洲次郎そして麻生太賀吉による日本開発銀行を舞台にした巨大犯罪が描かれている。小林中は、この三人の犯罪を黙認することを条件に開発銀行の総裁になったことが分かるのである。続けて読んでみよう。

「政府は毎年もったいぶった分厚い報告書なるものをつくる。そこでは優秀な統計技術が使われる。御用学者がこの統計の権威をつけるために動員され、あれこれの本にこの数字が引用される。だが、本質は何事もわからないのである。さて復金の金も返さないとなると、その被害者は誰か。いうまでもなく、それは国民であり一般大衆である。開銀の金三六億円をふところに入れた麻生太賀吉にしても、その麻生の妻の父吉田茂元首相にしても、ときの開銀総裁小林中にしても、大衆の犧牲のもとの不正の行為者であり、その同調者であるといえるだろう。」

吉田茂と白洲次郎を賛美する本が続々と登場してくる背景は何なのか。吉田茂と白洲次郎の正体を隠したいと思う連中がいるからである。吉田茂と白洲次郎のダーティーな部分と重なる連中が背後で暗躍しているからである。

(鬼塚英昭『白洲次郎の嘘』成甲書房、2013年)