「降伏日本」と称する一大醜態は、日本の人民がつくりだしたものではない。それは天皇自身がつくられた、日本国はじまって以来の一大事態である。日本民族のために、すなわち主権の本体である「人民の集合体」のために、この未曾有の一大恥辱をこうむらしめたことは、天皇の負わるべき重大な責任である。
旧憲法にもとづいて、天皇には責任がないととなえる人は、今日の民主日本の人民たる権利と道義とを、そなえていないものである。そのはなはだしく卑屈な人にいたっては、「戦争をおわらしめたのは、天皇であった。天皇は、日本民族を危地から救いだされたのである。」と声高らかにとなえ、天皇の仁徳をたたえるものすらある。
それは、開戦の宣言は天皇がおこなわれ、戦争の継続は天皇が指揮されたという事実を、まったく棚に上げて、ただ、たんに終戦の一事実のみをとらえて、この戦争をものがたっている人のことばである。私は、これらの人の賛辞を、古風な、かつ卑怯者のヘツライであると見るものである。人民の苦痛を念とせられるならば、天皇はもっと早く、戦争休止を命じられるべきであった。
天皇は無謀の戦争をはじめられた。そうして、人民の空しく死屍となって海外に捨てられたもの、海中に葬られたもの、じつに二百万人にたっしている。戦禍をこうむったものにいたっては、数千万人の多きにおよんでいる。日本の領土は半分に減った。物資は失われた。植民地はことごとく、うばわれた。八千万人の今後の生活は、至難をきわめている。天皇は、深夜、鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)の悲惨を、天と地とに接して、しずかに聞かるべきである。
(蜷川新『天皇 誰が日本民族の主人であるか』光文社、1952年)
