畑倉山の忘備録

日々気ままに

日本の政商(1)

2018年05月13日 | 歴史・文化
明治4年末から5年にかけて、政府は大蔵省証券(680万円)と北海道開拓使兌換証券(250万円)という内国公債を発行した。その発行業務いっさいは三井組に請け負わせたが、三井組はその代わりに、証券発行年限中にその総額の2割を、大蔵省に兌換準備金を納めることなく自家の用に供する特権をえた。

これではあまりにも三井にもうけさせすぎるとの非難が高くなったので、三井が自家のために発行した大蔵省証券の抵当として、それと同額の通貨を大蔵省に預けさせ、大蔵省はその抵当金に利子をはらうことにした。三井は大蔵省から無利子の借金をして、その抵当には利子をつけてもらったわけである。

このとき井上馨が大蔵大輔で最高責任者、渋沢栄一が大蔵省三等出仕で井上の片腕になっていた。かれらが三井にたいしてこの種の特典をあたえるのは、ずっと昔からのことであった。それゆえ、岩倉大使らがアメリカへ向けて出発のさいの送別宴で、西郷隆盛は井上馨に、「三井の番頭さん、一杯いかがです」と、あたりはばからずに言ってのけたのである。

(井上清『明治維新 日本の歴史20』中公文庫、1974年)