畑倉山の忘備録

日々気ままに

神聖悲劇の犠牲者 畑中健二

2016年09月05日 | 鬼塚英昭

森惨殺というリアリティを獲得した「神聖悲劇」は、あっという間に終末を迎える。森惨殺をこの師団長室にいた連中が阿南や田中に報告することにより結末がやってくる。畑中は暗闇の中にうろつくだけの哀れなピエロの役を演ずる。某中佐が闇に消えたため、畑中は孤立無援となる。(中略)

飯尾憲士の『自決』に書かれている畑中を紹介したい。それは飯尾が畑中健二の兄を訪れる場面である。畑中の兄は飯尾に「弟について問い合わせはなかった。あなたがはじめてです」と語る。私は、この兄の語る話を涙なくして読めなかった。畑中もまた、天皇教の犠牲者のー人であったのだ。

「健二は、中学生のころ、陸士を志望していませんでした。目標は、京都の三高でした。度胸だめしに四年生のとき陸士を受験しましたら、三十何人に一人という難関でしたが、合格の通知が参りました。健二は嬉しそうでもありませんでした。陸士には行かない、三高を受験する、と言っておりました。ところが、"四修で陸士合格" と地元の新聞が大きく報道しますし、町では祝賀の行事さえ行われました。なにしろ小さい町ですし、それに昭和四、五年ごろのことでありますから、ちょっとした騒ぎでございました。健二は渋っていましたが、中学校の先生たちや父のすすめで、やっと陸士に行くことに決心したのでした。やさしい性格の弟でしたので、軍人向きではないと私は思っておりました。三高に進んで、文学方面のことをやりたかったようでした。」

私たち日本人は、一人の偉大なる文学者を失ったのかもしれない。畑中健二は森近衛師団長を惨殺した。そして彼は「神聖悲劇」の犠牲となり、自らを惨殺し果てたのである。

(鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』成甲書房、2007年)