畑倉山の忘備録

日々気ままに

明治初期の自由民権運動

2019年01月27日 | 歴史・文化
民権論者たちは、五か条の誓文を国会開設への志向と結びつけ、維新の変革を人民の自由の拡大への第一歩だとみるかぎりでは明治維新を高く評価しながらも、河野広中のことばを借りていえば、その後の明治政府のやり方は、形だけの開化であり、真の開化の精神はそこにはなく、それはあたかも金や玉でできた箱に、馬の糞や牛の小便を入れたようなものだ、とみた。

自由民権運動によって人民の自由や民権をかちとろうとする人々は、維新の奥深い原動力であった民衆の、真にめざしたところを継承しているものは、この自分たちであり、明治政府はこれを歪曲し、かえって民衆から遊離した、得手勝手な私利を図る政府にほかならない、とみていたのである。

(田中彰『未完の明治維新』三省堂新書、1968年)