畑倉山の忘備録

日々気ままに

権勢と反逆を生む山口県(3)

2018年10月22日 | 歴史・文化
山口県の特色は、ジャーナリストと相撲とりがあまり出ないこと、古い民謡、俚謡といったようなものがほとんどないことである。その時の、あるいは近い将来の権力にむかって直線コースを進もうとするものにとって、そういうものは不必要なのだ。文筆家などというものは、大きなことをいっても、弱者のかよわいレジスタンスにすぎないというのであろう。

かくて岸首相をはじめ山口県人の多くは、いつでも二頭立ての馬車で、いや、左右どっちにでもハンドルのきれるタンクで、権力にむかって進んでいるのだ。

長藩では、毎年元旦の未明に、城中正寝の間で、君公ひとりが端坐していると、その御前に家老職が恭しくまかり出て、
「幕府ご追討の儀はいかがでござりましょうか」
と問うと、君公は、
「いや、まだ早かろう」
と答える。これを正月の挨拶として二百何十年もつづけたあげく、ついに幕府を倒すことができたのだ。

夢物語だが、代々木の共産党本部の第一書記室でも、今年の元旦あたり、志賀氏がまかり出て、
「資本主義打倒の武装蜂起はいつにしましょうか」
というと、野坂氏は、
「いや、まだまだ、どこからもそういう指令は来ていない」
と答えているかもしれない。

(大宅壮一「権勢と反逆を生む山口県」『文藝春秋』昭和33年3月。同『無思想の思想』文藝春秋、1991年より引用)