畑倉山の忘備録

日々気ままに

慰安婦問題はねつ造ではない

2018年01月29日 | 歴史・文化
日支事変にも太平洋戦争にも、軍の性囚にされた慰安婦の9割は、植民地朝鮮からの女たちだった。輪姦された女は、推定で20万人説までいろいろある。

「大東亜戦争中の連行朝鮮人は、内外あわせて600万、そのうち行方不明は一般労働者をふくめて20万人」と、報道もされている。

トラック島一つをとっても、朝鮮人人夫だけで17,000、そのうち4,000人が死亡している。

朝鮮慰安婦について日本側では、荒船清十郎代議士の口からついてでた数字はこうである。昭和40年(1965年)11月21日、荒船氏は、秩父軍恵連盟招待会を、秩父厚生会館で開き、参加者400名の前で講演をぶった。

「戦時中、朝鮮に貯金をさせ、終戦でフイにした金は1,100億あった。徴用工に連れてきて兵隊として使ったが、この中で57万6,000人が死んでいる。それから朝鮮慰安婦が14万3,000人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまったのだ。合計90万も犠牲になっているが、なんとか恩給でも出してくれと言ってきた・・・・・」

日本はアジア侵攻に、植民地の男女を強制連行し、兵に軍夫に、女は性囚ガールに追いこんだ。

また仁義なき戦争にかりたてられた日本の兵たちは、「糧は敵に拠る」こととし、食い扶持からして野盗働きをしなければならなかった。

なんのための戦争なのか、かかげた聖戦などは、討伐に名をかりた強盗であり、殺し、犯しが実状だった。兵たちは戦場垢をつけなければ、強い兵として通らなかった。それはまともな人間を喪失していくことだった。野生本能をよびこまないかぎり、侵略の先陣を駆けることはできなかった。荒(すさ)みの淘(よな)げ薬に組み込まれた慰安婦は、まさしく地獄の花嫁であった。

弾除けにされた一般兵の慰めには慰安婦があてられた。機関銃つきのトラックで、財閥企業の人足や物資を略奪させた軍権者たちには、企業のもてなしで高官料亭での酒肴と将官用慰安婦の接待があった。

軍寄生の性業主たちも、軍部との道行きを楽しむ受益者であった。性業主にとってのねらいは、資本なしに利をあげられる植民地の一本玉であった。

朝鮮は産物ならぬ、性の大兵站基地とされ、女子愛国奉仕隊、女子挺身隊と、つぎつぎに淫獄の花嫁に狩りこまれていった。

(山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争』光人社NF文庫、1995年)