畑倉山の忘備録

日々気ままに

最後の陸軍大臣・阿南惟幾(2)

2017年08月12日 | 歴史・文化
4月9日——東郷(茂徳)が鈴木(貫太郎首相)から戦争終結実現への白紙委任状をとりつけて外相に就任した日——陸軍は本土決戦のための陸軍高級人事を発表した。前陸相杉山元元帥は第一総軍(東北、関東、東海、総司令部は東京市ヶ谷台)の司令官に、畑俊六元帥は第二総軍(近畿、中国、四国、九州、総司令部は広島)の司令官に、河辺正三(まさかず)大将は航空総軍司令官に、河辺虎四郎中将は参謀次長に、それぞれ任命された。参謀総長は昭和19年7月以来引き続き梅津美治郎大将である。

このとき軍務局長に就任した吉積(よしずみ)正雄中将は、参謀本部第一(作戦)部長である宮崎周一中将に、「勝利の目途如何(いかん)」と質問したところ、宮崎は「目途なし」と答えた。「然らば速やかに終戦に持っていくべきではないか」との質問に対して、宮崎は統帥部は継戦あるのみ、統帥部自ら戦争を放棄することは出来ない」と答えたという。

作戦の責任者である第一部長が「勝つ見込みは全くない」と言い切っているこのとき、国民は竹槍で敵と闘う訓練を強制されて、空襲の度に栄養失調の弱い足をひきずって逃げまどい、多くが無惨な死を遂げていた。

(角田房子『一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾』ちくま文庫、2015年)