畑倉山の忘備録

日々気ままに

二・二六事件の中心人物

2018年03月04日 | 歴史・文化
栗原中尉は陸相官邸の小部屋で、新聞記者に答えていた。
「新内閣ができたとしても、ケレンスキー内閣だよ」
「それは短命内閣ということですか?」記者は訊いた。
ケレンスキー内閣なロシア革命直後のメンシェヴィキ政権で、すぐにボルシェヴィキに倒されている。暫定内閣、つなぎの政権である。

栗原は蹶起部隊の中心人物である。岡田首相は、おれが襲撃したと、ふっくらした頬の若い中尉は言ってのけた。表情にも数時間前に殺人を犯してきたかげはない。重要人物としてインタビューされるのが嬉しいように、目がきらきらしている。
「真崎さんが首相になっても、一時しのぎの短命内閣、暫定内閣ですか」
「どうだろうね、解釈はまかせるよ」

栗原はあごをなでた。ひげだ、伸びている、とつぶやいた。
「あなた方は真崎大将を首班に推していると聞いています」
「首班は陛下がお決めになることですよ」
「中尉、そんな風にいうことはないでしょう。キング・メーカーはずっと西園寺公だった。それが気にいらなかったんじゃありませんか」
「真崎閣下にはその気はないようだよ。閣下は、近衛さんか、山本栄輔海軍大将を推していると聞いている」
「海軍も山本栄輔海軍大将案に傾いているらしいですね」
「そうかね? もっと画策しているところがあるだろう」
「参謀本部とか?」
「それこそ西園寺公とか」

「西園寺公は興津の別荘にはいませんよ。探していますが、襲撃がこわくて逃げているらしく、何処にいるのかわからない。参謀本部は真崎大将案に反対でしょう?」
「当然だろう。そんな連中だ。やつらには兵隊など人的資源にすぎない。死なせることをなんとも思っていない。そのくせ大臣が何人か倒されると大騒ぎする。そう思わないか」
「左翼の本でも読んでいるんですか」
「上層部は嫌うが、軍人なら革命戦の本ぐらい読んでおくべきだよ。きみは自分の持っているその頭脳で考えたらどうなんだ。参謀本部の連中も、兵士は陛下の赤子だという。大臣もひとりの赤子だ。兵と大臣に差などない。その兵士が政治家、官僚、軍閥の失政のために、家族の悲惨を嘆きながら満州に行かなければならない。かしこくも・・・・・」

栗原は姿勢を正した。軍刀ががちゃりと鳴った。記者も背筋を伸ばした。かしこくも・・・・・とくれば万世一系の天皇とつづき、天皇という言葉には威儀をたださなくてはならない。
「かしこくも陛下のご命令なら、兵はー命を捧げる覚悟でいる。だったら、なぜ政治を正しくし、兵の家族が安心して暮せるようにしてくれないのだ。我々は軍の内部での派閥闘争をしているのではない」
「蹶起された気持ちは、わかりました。ですが、成功すると思いますか?」
「成功させなくてはおかない。そういう覚悟でいる」
「それではですね。新内閣が暫定内閣なら、その次の本格的な政権はどうなるのです?」
「天皇御親政。天皇のより直接的な統治だ」
「首班は? 構想があるのでしょう?」
「そこまではなんとも言えないさ」

中尉は眉を寄せるように微笑した。無垢な微笑だと記者は思った。老練な政治家たちの腹に一物を隠した歪んだ微笑ではない。

(笠原和夫『2/26』集英社文庫、1989年)