畑倉山の忘備録

日々気ままに

朝鮮戦争終結と新自由主義

2018年05月06日 | 国内政治
東アジアの状況を一変させる戦争終結には、朝鮮半島の人々はもちろんのこと、日本の人たちも過半数が歓迎している。私もその一人である。その上で、大きな変化が起きるとき、そこには「新自由主義」の影がうごめいているのではないか。そういう目を持っておくことも必要だ。

「新自由主義」は、正義をまとって現れる。左手で平和と民主主義の旗を振りながら、右手で他国民の富を根こそぎ奪っていく。正義の味方を気取れないときは、まずは悪役を作りだし、しかる後に登場する。イラク、リビア、エジプト、アルカイダ、イスラム国・・・・枚挙にいとまがない。

「新自由主義」の実績を思い起こせば、この度の終戦とそれに続くであろう北朝鮮の激変の裏にも潜んでいると思わないわけにはいかない。なにせ、朝鮮がもし統一されるとなれば、その経済規模は天文学的な数字になる。

こんな未開の地が開かれるのだから、行き場を探して世界中をさまよっている金融資本は、舌なめずりして待ち構えている。しかし、こんなところに投資しても、見返りは無いんじゃないか?とおもうかもしれない。なんのなんの「新自由主義」をなめてはいけない。

最初に損する役と、後からがっぽがっぽ回収する役はちゃんと分担されているのだ。そう、もうお気づきと思うが、最初に損する役が米国のATM=日本。

ひと通り基盤整備ができてから、オイシイところだけごっそり持って帰るのが国際金融資本=新自由主義なのだ。もちろん、日本も商社などの大企業はある程度おこぼれにあずかる。

そもそも、ODAというのは、日本の税金を途上国に投資して、それを日本の企業が受注して持って帰る、という詐欺まがいのシステムのことだった。そのシステムは今でも生きているが、もはや日本企業が独占することは許されず、新自由主義がほぼ何もせずに持っていくのである。

(反戦な家づくり)