畑倉山の忘備録

日々気ままに

ブルーパージ関係資料

2017年06月03日 | 国内政治

最高裁判所調査官時代についても、ーつ鮮明な記憶がある。

最高裁判所の裁判官と調査官の合同昼食会の席上、あるテーブルの最高裁判事が、突然大きな声を上げた。

「実は、俺の家の押入にはブルーパージ関係の資料が山とあるんだ。一つの押入いっぱいさ。どうやって処分しようかなあ?」

すると、「俺も」、「俺もだ」とほかの二人の最高裁判事からも声が上がった。

この時も、事務総局における会議の席の場合と同様に、しばらくの間、昼食会の会場が静まりかえったことを記憶している。

多数の調査官と、おそらくは裁判官出身以外の最高裁判事の多くも、こうした半ば公の席上で、六人の裁判官出身判事のうち半分の三人もが、恥ずかしげもなく、むしろ自慢気に前記のような発言を行ったことに、ショックを受けていた。

ブルーパージとは、青年法律家協会裁判官部会、いわゆる青法協裁判官、左翼系裁判官に対する、再任拒否まで含めたさまざまな不利益取扱いや、人事の餌で釣っての青法協からの脱会工作を意味する。転向した裁判官の中には、私の知る限り、極端な体制派になった人物も多い。日本の左翼によくある端から端への転向の典型的な形のーつである(中略)。

ところで、なぜ昼食会の出席者たちは、ショックを受けたのだろうか?

ブルーパージは、いわば、最高裁判所司法行政の歴史における恥部のーつ、その代表的なものであり、常識的には、それについてこうした合同昼食会の席上で大声で自慢気に語りうるようなものとはおよそ考えられない事柄だからである。しかし、当の裁判官たちは、そのことに気付いてすらいなかったように思われる。

当時のキャリアシステム出身最高裁判事の少なくとも半分が前記のような行為に深く関わっていたことを示す事実であり、おそらくは、その行為が、彼らが最高裁判事に取り立てられた重要な「実績」でもあったに違いない。なお、「少なくとも」というのは、ブルーパージに関わってはいたが、さすがに人前で声を上げることは差し控えた人もいる可能性が高いからである。

(瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書、2014年)