ということで
これは有名な大阪道頓堀のグリコのネオンサインです。
描かれてるのは二代目で昭和30年に設置されたやつらしいのです。
なぜならこの絵は小学生の時に私が描いたものなのです
三代目看板は昭和38年設置で私はもう中学生になっており
こんな風な絵は描かないのです。
当時明かりの少ない田舎から一晩船に乗りやってきて大都会大阪の
ネオンサインの輝きに感動した章魚庵少年はその感動を
大胆な色使いで表現したのでありました。
それにしてもちょっと不思議な絵です。
グリコのランニングのおじさんはともかくその下に突然ロボットです
そしてその頭にニワトリというのがよくワカランのです。
おもちゃの文字?広告か?ロボットの手に指輪?……ワカラン
その下に大勢の見物人たち。全くの空想で描いてるとも思えないけど……
グリコによる道頓堀グリコネオンサインの歴史によりますと二代目は
>ネオン塔は砲弾型の下部に特設ステージを持つユニークなもので、
>そこでは大きな人形のワニ君がピアノをひいたり、人形劇を演じたり、
>ロカビリー大会を催したりしました。
あっ、これのことであったのかと思うのですがそこいらへんの記憶が無いのです。
ちなみにですが、今のは六代目だそうです。
と思って検索してみたら、「がっちり買いまショウ」の次の次にこの章魚庵つれづれ通信がヒットしました。
「ガッチリ買いまショウ」、見てました。懐かしい。
スポンサーがオリエンタルカレーからグリコに変わってからの口上だったんですね。
章魚庵少年の絵、解説読まなきゃワケワカラン絵ですが、色彩バランスがとてもいいです。
と、思います。
昭和中期の大阪のエネルギーって、すごかったんだろうな~って気がします。
ここのところ、記事の更新が早いですね。
いろいろなことが、やっと一段落して、ホッとしているところなのでしょうか。
私も幼少の頃、渋谷のネオンを見るのが大好きでした。
山手線の席に靴を脱いで後ろ向きに座り、ずーっとネオンを見ていました。
ロボットの目から光線が出ているのも、当時っぽいな。
よく目から光線が出ていたもの。
色使いからすると、カンデンスキーの日本版かも?
でも、これは見た物を、章魚少年なりに理解出来る範囲で再現して描いたのでしょう!
それだけ衝撃的なグリコの電気看板との出会いだったんでしょうね~!
大阪だと「ずぼらやのふぐ」と「くいだおれ人形」(太郎でしたっけ?)も印象的ですね。
東京ではやらない宣伝手段ですよね!
最近はアドバルーンを見なくなりましたね!高層ビル群の中では役に立たないのでしょう。
「ガッチリ買いまショウ」夢路いとし・喜味こいしですね?
見てましたねぇやはり。
10万円・7万円・5万円運命の分かれ道でしたっけ?
今ならどのぐらいが運命の分かれ道になるんでしょうか?
ワケワカラン絵であの当時の大阪のごちゃごちゃした
エネルギーを思い出します。
記事の更新早いのはちょっと躁状態なんでございます。
mimi様
たしかにあの頃はネオン見に行こうみたいなことで。
なんせ田舎から大都会でしたからねぇ。
>ロボットの目から光線
映画の一場面を描いたロボットの目から光の絵もあります。
同じ場面を2枚も描いてるのでずいぶん好きだったのでしょう。
閑おじ様
ピカソの日本版にもカンデンスキーの日本版にもなれなくて
章魚庵日本版になりました(知らねぇよ!)(爆)
たしかにグリコ看板は衝撃だったのでしょう。
くいだおれ人形は記憶あるのですが、
ずぼらやのふぐはどうだろうか?多分無いなぁ。
かに道楽のカニは見たような気がするんですが!
どちらも喰ったこと無いですけど。
アドバルーンは最近でしたら近所にアウトレットが出来たときに
たしか見たような。もう都会では無理なんでしょう。
今日の、人形館の企画、伊藤さんのお話にもありましたが、上手く描こうと思ったりしなくても良いのだと。
伊藤さん、閑おじさま、章魚庵さん、みなさんの葉書や作品が、楽しみであり、励みになる はは なのです。
カバヤ→カバヤ文庫
フジヤ→ペコチャンポコチャン
森永→ミルクチョコレート・大きいことはいいことだ
でも、お菓子を親に沢山買ってもらったことって
そんなにないなあ(少しはあります)
浪速のネオンに包まれて
章魚少年描くグリコのおじさん
杉並区に方南住宅という団地みたいなところがあって、同級生が何人かそこに住んでいました。
方南住宅の前に小さな駄菓子屋さんがあって、そこに古いメンコとかお菓子とか売ってて、とくにチューブチョコは大好きでした。
方南住宅にあったイチョウの木が登り易くて、木登りするのも楽しみでした。
仲良しだった女の子が、あるとき学校を休みました。
先生が、方南住宅の二階の階段の踊り場から庇に飛び降りようとして、庇を通り越して下まで落ちて足を折ったと言いました。
私もそれ、やったことあったけど、ショックだったのは彼女が私の知らないところで誰かと遊んでいたことでした。
(彼女は方南住宅の子じゃなかった)
今、どこで何してるかなあ。あの子。
思うがままに描けるなんてことはない訳です。描きたいけれど。
人形館行ったんですね?ずいぶんご近所さんも行ってたみたいですねぇ。
>上手く描こうと思ったりしなくても良いのだ
確かにそうかもしれませんが、そう言う人は圧倒的に上手いのです。
死ぬまでに一度くらい思いのままに描けることがあればいいのですが。
房州や様
グリコ→赤い箱のおまけ。
カバヤ→カバの形の宣伝カー
フジヤ→眼が動くペコポコの絵が描いてある手提げのついたミルキー
森永→黄色い箱のキャラメル(?)じゃなかったっけ?
日の丸キャラメルっちゅうのもありました。
台風はふるさとの真上を通ってるみたいです。
峰猫様
>コビト→おそ松くんのチューブチョコ。
これは分からないのですねぇ。そんなに時代は違わないのに……違うか?
駄菓子屋、そういえばうちは田舎だけど
結構ありましたねえ。今思い出しても
うちの近所でも3軒はありましたかねぇ。それにお好み焼き屋が近所に2軒
そのうち1軒はうどん屋を兼ねてました。
二階の踊り場から飛び降りましたか?軽やかだったのですねぇ
その頃は……ドテッ
その子どうしてるんでしょうか?人それぞれの人生があったりして……
カバヤキャラメルも美味しく無かった!
ボンタンあめもいまひとつ・・・
グリコアーモンドキャラメルは好きでした!
森永ミルクキャラメル、明治の赤い箱に入った白いクリームキャラメルも美味しかった!
不二家のフランスキャラメルは感動的でしたね!
飴は時々舐めるけど、キャラメル最近食べないな~