探 三州街道 

伊奈備前守、高遠保科家、信濃国など室町時代・戦国期の歴史。とりわけ諏訪湖と天竜川流域の歴史の探索。探索者 押田庄次郎。

小笠原政秀  ・・・ 鈴岡小笠原家歴代 

2014-02-28 09:42:48 | 歴史

       鈴岡  

鈴岡小笠原家歴代

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・小笠原宗政・・鈴岡小笠原家の祖、貞宗の次男

・宗康     ・守護、漆田原の戦いで、府中小笠原持長に殺される
・政秀     ・守護、松尾小笠原貞基によって殺害される
・長貞     ・幼年、政秀とともに貞基に殺害される

・・・暫く、廃城

・信定     ・府中小笠原長時の弟、鈴岡城へ養子に入る。信玄に抵抗し京に逃げる

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小笠原政秀
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 明応2年1月4日1493年1月30日
幕府 信濃守護
氏族 小笠原氏
父母 父:小笠原宗康
長貞、養子:長朝

     小笠原政秀

生涯・・・

室町時代の小笠原氏は中興の祖である祖父・小笠原政康の没後、家督争いが起き衰退していた。

政秀の養父は宗康である。父の政康は従兄の小笠原持長と争い、戦死している。政康は死の直前に弟の光康に家督を譲っており、政秀は叔父で養父の宗康の下で養育された。
・・政秀は寛正2年(1461)、養父の死により家督を継承したと推測されている。鈴岡城に拠り、弟の松尾城主小笠原家長(光康の子)や又従兄の府中城主小笠原清宗(持長の子)と並ぶ勢力となった。・・・家長と政秀の関係に混乱が見られる。兄弟と見られる関係だが、父を同じくしながら、母を異として、政秀は鈴岡家の養子になり相続し、家長は松尾家を相続した、と言うことであろうか。
・・応仁元年(1467)頃から清宗を攻撃して、一時は小笠原家の惣領となった。文明5年(1473)には室町幕府から信濃守護に任命されている。しかし、小笠原家をまとめ上げることはできず、小笠原長朝(清宗の子)を養子に迎え、再び家督を譲らざるを得なくなった。
・・一方、松尾家とは当初は良好な関係であり、幕府の命令で美濃に出陣するなど共同歩調をとっていたが、後に伊賀良荘の領有を巡って争うようになった。政秀は諏訪氏と同盟を結び、文明12年(1480年)に家長と戦って討ち果たしたが、明応2年(1493)1月4日、家長の子である小笠原貞基に松尾城で実子の長貞と共謀り、政秀を暗殺した。
・・鈴岡小笠原家は滅亡したが、政秀の未亡人は下条氏を通じて府中家の小笠原貞朝(長朝の子)を頼って落ち延び、後に貞朝の子の小笠原長棟が松尾家を下して小笠原氏の統一を果たすことになる。

  鈴岡城趾跡

 

小笠原家、山家鼎立の中で・・・

鈴岡小笠原家の当主・政秀は、この時期の三家の中で、武家としての力は抜きんでいたことが覗われる。この力は幕府にも聞こえ、信濃守護の補任されている。さらに諏訪大祝家や高遠家とも同盟を結び、度々府中小笠原を脅かした。応仁元年(1467)7月15日、小笠原政秀(政貞)が府中(松本市)に攻めこみ、井川館の小笠原宗清を襲うという 、ことがあった。この時宗清は府中を棄てて逃げている。政秀は、最初から松尾小笠原と対立したわけではなく、友好的であった。政秀が、勢力を拡大していく過程で、伊賀良荘の領有問題で、松尾家と対立するようになる。この対立の火種が、やがて小笠原貞基(松尾)が、政秀父子を松尾城に誘い出し、謀殺するという、事変に発展し、これにより鈴岡小笠原家は廃絶する。

政秀が謀殺されると、政秀室は同国の下條家に小笠原家の家宝、書籍を持って逃れた。政秀室が没すると下條時氏が家宝を守ることとなる。この”小笠原家の家宝、書籍”は、小笠原宗家を証明する「弓馬の儀礼」に関係する家宝・書とみられ、以後はこの家宝・書の争奪の戦いが繰り広げられるようになる。つまり、宗家の資格の所有を意味した様だ。

ここで、小笠原の宗家と守護家について、疑問を出しておく。

府中の小笠原持長によって宗家争いをした後、何代か信濃守護が、松尾や鈴岡出身からでている。守護が松尾や鈴岡の時の守護所は、当然府中ではなく出身地であったのだろうか。この部分は、意外と判然としない。理由は、府中の意味が、昔国衙のある政治を司る所の意味で、府中に惑わされる。そこで他所を点検すると、国衙が機能していたのは鎌倉期前半までで、それ以後有名無実となり、松本も機能はなくなったが、むかしの府中の名のみ残した、というのが当たっていそうだ。さらに、”血で血をあらう”御内の争いの中に、守護だといっても行ったとも思えない。とすれば、府中持長と対立関係にあった政康以降の守護は松尾であり鈴岡と言うことになり、府中は長棟と長時の時だけが守護職であったと言うことになる。

以上のことは、時折、政康のことや政秀のことを府中小笠原の守護のように仮冒している書をかなり見かけるので、あえて整理してみました。

未完・・・

 



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