探 三州街道 

伊奈備前守、高遠保科家、信濃国など室町時代・戦国期の歴史。とりわけ諏訪湖と天竜川流域の歴史の探索。探索者 押田庄次郎。

府中(松本)の豪族 西牧氏

2014-02-16 21:56:35 | 歴史

 

 府中小笠原氏に反抗か!従属か!

    ・・・  諏訪神家一族は府中に反抗 ・・・

 ・・四本根梶の葉 滋野流諏訪氏 西牧氏

西牧城(北条城)

 ・・西牧城

西牧城(北条城)
場所:松本市・旧梓川村。西牧城は北アルプス東山麓に近い金松寺山の支尾根先端、標高946m・比高200mの「城山」に築かれた山城です。
西牧氏の城:居城・西牧城(北條城)。支城:亀山城、城日影砦、田屋城(全梓川)。

西牧氏

領有範囲:住吉庄、長尾・大妻・二木・真々部、旧三郷村・旧豊科の一部・旧梓川村の東側一部、西牧郷。
西牧氏・・信濃国司から西の牧主。官営の”馬の牧場”の管理者が出発点であった。・・・その牧場管理に西牧氏一党の古幡(古畑)氏が牧司。
*古幡氏は戦国時代の武将に古幡伯耆・降旗三郎右衛門。古幡郷の牧を支配した一族。西牧氏の勢力が拡大して住吉荘に及んでいたため、小笠原貞宗が住吉荘地頭で赴任した時利害が衝突したと思われる。大塔合戦はその利害衝突の現れで、西牧氏は当然反守護の立場であった。

西牧氏の歴史・・・

・滋野氏の一族の西牧氏の築城。真光寺(滋野兼忠の氏名有り・西牧氏のこと)
・滋野氏は諏訪神党、南朝側、北条残党。築応永七年(1400)の「大塔合戦」では仁科氏の「大文字一揆」の中に西牧氏見え、小笠原長秀を信濃から追放。小笠原政康が信濃守護に補任されると、住吉庄、春近領の領有で小笠原氏と争い、西牧時兼らが幕府の信濃国代官・飯尾入道に小笠原氏の不当を訴状。その後西牧氏は小笠原氏に従属。「塩尻峠合戦」で三村長親、西牧信道らが武田晴信に内応して小笠原長時を襲い、長時は敗北した。武田氏が滅亡、織田信長が死去すると、小笠原貞慶が領土回復。松本城に入城。西牧氏は貞慶に討伐され、西牧氏の所領は二木豊後守に付与。西牧城は廃城となった

未完・・・


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