小笠原真方
忠真系
千束藩・・・千束藩(チズカハン)は、小倉藩の支藩。当初は小倉新田藩(コクラシンデンハン)と称した。寛文七年(1667)、小倉藩二代藩主小笠原忠雄の藩主就任時、弟の真方が一万石を領内に分与され立藩した。藩主家は参勤交代を行わない江戸定府の大名であった。明治二年(1869)、千束(豊前市)に陣屋を構え千束藩と改称した。明治四年(1871)、廃藩置県により千束県となる。のち、小倉県を経て福岡県に編入された。明治十七年(1884)、千束藩小笠原家は子爵となり華族に列した。
小笠原真方
豊前小倉新田藩(千束藩)
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
真方(さねかた)
官位:〔従五位下、備後守〕
小笠原貞通
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
貞通(さだみち)
官位:〔従五位下、近江守〕
小笠原貞顕
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
貞顕(さだあき)
官位:〔従五位下、弾正少弼〕
小笠原貞温
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
貞温(さだあつ)
官位:〔従五位下、近江守 若年寄〕
小笠原貞哲
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
貞哲(さだとし)
官位:〔従五位下、近江守〕
小笠原貞謙
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
貞謙(さだよし)
官位:〔従五位下、備後守〕
小笠原貞嘉
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
貞嘉(さだひろ)
官位:無し→小倉藩8代藩主・小笠原忠嘉となる
小笠原貞寧
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
貞寧(つねやす)
官位:〔従五位下、近江守〕
小笠原貞正
譜代 1万石 (1667年 - 1871年)
貞正(つねまさ)
官位:〔従五位下、近江守〕