俳諧自由ただ空っぽの春の空 まほろば
1970年代の後半に入ると、私の足は大学からは遠のいていた。70年安保世代とその直後の人々がキャンパスから一掃されたのである。就職や中退など理由は様々であった。もう一つの理由は、70年安保と完全に切れた世代の登場である。彼らを指して第二次【シラケ世代】と言う他無い。私がキャンパスから離れ、就職することもなく何をしていたかと言うと、完全なる昼夜逆転生活であった。深夜の閉店間際の古本屋→ジャズ喫茶の繰り返しに徹すること以外に選択の余地はなかった。ある時、大学の学部の2年先輩(年齢は1歳違い)のAさんが突然吉祥寺のアパートを訪れて来た。1975年の秋頃だったろうか、翌日がかの成田空港反対闘争の決戦なのだという。それで私も同行することを誘って来たのだ。私は即座に拒絶した。彼も私同様、遅れて来た世代であり、70年安保はすでに頓挫していたことを誰よりも知っていたからだ。すでに終ったものを後追いする気持ちはとうに失せていた。私の興味は70年代後半の新たな展開に向いていた。その一つは【宇宙戦艦ヤマト】という突拍子も無い《すでに終ったもの》の暗喩であり、フリージャズという《空を掴むような行為》であった。・・・《続く》