まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【立春】晴子につづく澄子・・新たな文芸ファシズムの潮流/2017ふるさとニッポン

2017-02-04 13:29:06 | エッセー・評論
立春の晴子につづく澄子かな   まほろば  最新作  即興
今日は【立春】です。何ともお目出度い響きです。気温も13度はあり、雲ひとつ無い晴れ空がどこまでも続いています。しかし、晴れ渡っているからといってもそれが澄んでいるとは限りません。私が最初の俳句入門の中で遭遇した超大物俳人の中に故飯島晴子さんがいます。聞くところによると飯島さんの死(2000)は自ら選んだものでした。80歳を少し超えたくらいだったのでしょうか。彼女が目指した句の世界を模倣し、一見発展させたかのように感じる女流に【池田澄子】がいます。こちらは晴子の死後16年目で78歳ですから、20歳下ということになります。時代も当時とはまるで違います。これだけは言えます。澄子は自ら死を選ぶこともないし、春子の目指した俳句の《彼岸》などとんと眼中になく、ただひたすら俳句のこちら側でダダを捏ね回しているだけだと。 代表作 ピーマンを切って中をあかるくしてあげた(池田澄子) における自我はあらかじめ回避されていて、ただそこにあるピーマンを拾って齧っているだけのことです。第二のタダ事俳句と言えましょう。短歌の俵真智から始まった定型詩のライトバース【一線を超えた単純さで、同じく一線を超えた複雑さを獲得する逆説的な表現方法】も実に情けない貧相なものに成り果てたものです。・・・《続く》