まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

安保世代の止まった時計を動かすもの/結社の大型新人(4)

2017-02-13 02:33:24 | エッセー・評論
私は東西の2つの結社に所属(同人参加)している。このうち関西のものは何分遠く、月例の句会はもちろん年に一度の大会にもまだ出ていない。そのうち主宰(86歳)が認知症になり、今年から隔月刊になった。多くの同人が辞めてゆく中で、私は新同人(2016年度新人賞)としてあくまで踏み止まっている。もう一つは地元の首都圏の結社で、創刊は2000年と比較的新しい。ただし、こちらの主宰(78歳)は戦後俳句の超大物を師とし、まだ関西の方よりはいくぶん若い。定年退職と同時に創刊された同誌には他誌の幹部同人を兼ねる論客(82歳)がいるが、77歳の60年安保世代のNさんと一回り以上歳下の私の昨年度結社新人賞受賞について次のように書いている。
まず年下の私について。ちなみに私は70年安保に間に合わなかった世代の一員であり、1970年代というこの世の地獄を体験している。地獄とは決して天国に行けぬ者の《空白》の人生のことを指していう。『これらの背景には氏の言う「世界が否定ののための主体の無効を告げ、私もまた否定のために世界と対峙する根拠を喪失し、時代の大きな足音を聞きながら・・・」辿りついたのは現代詩でもなく、現代短歌でもなく現代俳句という最短詩型だっただろうか。これからの展開に心が膨らむ。
続いて77歳の大型新人Nさんについて『氏は言う。「エグザイルとは故国を喪失し放浪する者のこと(中略)元々エグザイルは二〇世紀終盤にブレイクした米国の思想家サイドが捨てた故国を捨て切れず、米国に組せずパレスチナの民に寄り添う言論を展開します。(中略)私はエグザイルな気分の中にサイードの苦痛と芭蕉の再び帰らぬ非日常への出立の想念がゆらめいています」と書く。このエグザイル的発想の構築に期待を大にしている。』と。
私の1970年代初頭の満を持しての上京当時、パレスチナ連帯の旗はベトナムと共に掲げられていた。60年安保当時、Nさんの所属していたというブント(全学連主流派)は、以後離合集散を繰り返し、その中の最左派の赤軍派がパレスチナへ渡って、今日言うところのテロ活動を展開したことはNさんも承知のことであろう。故国パレスチナの地を追われた人々の祖国奪還運動がまだまだ続いていた。それでは、Nさんは60年安保後の状況のどの位置からこれらの故国を奪われた人々を眺めていたのだろうか。そして、定年退職という人生の区切りを経て【俳句形式】との邂逅を果たし、そのことがどのような経路を辿って【時雨忌やどうやら俺もエグザイル】という一句の詠まれ得る地点に立ち得たのだろうか。・・・《続く》

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