前記事までに、中山宏史氏の所属結社新人賞受賞作『山頭火』(20句)から次の2句を引用した。【時雨忌やどうやら俺はエグザイル】【ヘーゲルの苦笑を背に初詣】である。1句目は芭蕉の《旅立ち》と現代人の日常性の孕む《非日常》への衝迫を重ね、エグザイル(故郷喪失者)としての己れの《現在》を提示した。この矛盾を生きることは、作者にとって芭蕉の切り拓いた寄る辺無きものとしての《俳句》の不可能性を生きることにつながってゆく。それでは、2句目の「ヘーゲルの苦笑」とは何ごとを言うのだろうか。
その前に中山氏と昨秋の結社大会と先月の新年句会で会った時の印象について書いておきたい。彼は77歳で60年安保世代の一員であった。60年安保とは戦後の復興を成し遂げた後の次なるステップとしての《成熟》へ向かう狭間に全国的に巻き起こった異議申し立ての運動であった。彼もまた学生時代にその渦中に身を置き、世界と人間の全体性の回復(変革)へのうねりに身を任せていた。そして運動の敗北とその主体の一部としての絶対的な《個》の不成立を目の当たりにして立ち竦み、何の確信も得られないままただ生きて存り続けるために社会に押し出されて行った。そして就職・結婚そして《老い》という即物的な時間の経過の中に身を置かざるを得なかったに違いない。彼自身の語るところによれば、定年退職とその後の数年を了えた後に俳句表現と出遭い、今日まで10年近い歳月を経て来たのだという。・・・《続く》
その前に中山氏と昨秋の結社大会と先月の新年句会で会った時の印象について書いておきたい。彼は77歳で60年安保世代の一員であった。60年安保とは戦後の復興を成し遂げた後の次なるステップとしての《成熟》へ向かう狭間に全国的に巻き起こった異議申し立ての運動であった。彼もまた学生時代にその渦中に身を置き、世界と人間の全体性の回復(変革)へのうねりに身を任せていた。そして運動の敗北とその主体の一部としての絶対的な《個》の不成立を目の当たりにして立ち竦み、何の確信も得られないままただ生きて存り続けるために社会に押し出されて行った。そして就職・結婚そして《老い》という即物的な時間の経過の中に身を置かざるを得なかったに違いない。彼自身の語るところによれば、定年退職とその後の数年を了えた後に俳句表現と出遭い、今日まで10年近い歳月を経て来たのだという。・・・《続く》