まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【俳句の此岸】春灯しこれが日本だ私の国だ まほろば/私とは誰か~プレおたく世代の現在(2)

2017-02-21 03:17:00 | エッセー・評論

春灯しこれが日本だ私の国だ   まほろば  *五つの赤い風船『遠い世界に』より

ウイキペディア【おたく】によれば、1950年代生まれの私は【プレおたく世代】だそうだ。なるほどそうだと頷ける。大学入学のため上京したのが1970年代前半だから、まだ60年代末の学生運動やロック・フォークの残り火が燻っていた。当時は、世界も日本もよく見透すことが出来たのだ。正直言うと、私は学生運動に参加するために上京した。そして、その期待は見事に裏切られた。もはや街も人もシラケきっていたのだ。それでも、わずかに残る熱気を随所に嗅ぎ分けてはしがみついて来た。それも70年代半ばまでが限界だった。ちょうどベトナム戦争のサイゴン(現ホーチミン市)陥落が1975年でピタリと符号する。その後、つまり70年代後半からどうしたか?それこそが私の《オタク》の始まりであった。昼と夜が見事に逆転し、夜な夜な古本屋→ジャズ喫茶へと通い詰めた。俳句同人誌「豈」の創刊者の故摂津幸彦さんは70年安保世代だが、60年代の終り頃は全共闘運動(関西学院大)のかたわら、ジャズ喫茶に通ったという。その道を数年遅れで辿ったことになる。流れていたチャーリー・パーカーやジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィーなどは時代を超えて普遍的なものだったし、マスターも常連客もチャキチャキの60・70年安保世代であった。コーヒー1杯で何時間も粘っては吉本隆明や現代詩文庫(思潮社)を読み耽っていた。住んでいたのも吉祥寺・阿佐ヶ谷・高円寺などの中央線沿線である。そんな日々も70年代後半に入るとシラケきって、何か得体の知れないものに取って代わっていった。・・・《続く》