限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第446回目)『YouTube大学に見る中田敦彦の独学術(エピローグ)』

2024-03-03 11:05:39 | 日記
前回

過去2回、YouTube大学を運営している中田氏の独学術に学べと述べてきたが、私は彼の生き方に関して必ずしも全面的には賛同している訳ではない。

一言で言えば、中田氏の熱気・バイタリティの根源にあるのが、成功願望欲であり、これは私の人生観とかなり対極にある。過去の偉人でいえば、野口英世もそういう人であったようなので、別段、私は中田氏の生き方を否定する訳ではなく、私と生き方の基本姿勢が異なるということだ。

また、中田氏は良い意味で「朝令暮改」をよくする人だ。つまり、どれほど本心で納得しているかは測り知れないが、すくなくともYouTubeで自ら述べていることからすると、人からの忠告や諫言をかなりの割合で受け入れている。裏返せば、それほど自分自身の言動に自信を持っていることもあるが、理性的であり、判断能力は高い、といえる。過去の偉人でいえば、この性格は三国志の英雄の一人である曹操に似ているとも言える。もっとも、曹操とは度量の面では比べ物にならない。曹操は極めて大きな度量を持っている。中田氏は自分のサロンである「Progress」の運営に関して、自分のサロンに加入したが、その後、一旦離れて再度戻ってきた受講者は「外様」と呼ぶと、公言している。自分を離れていった人は、裏切ったのと同様で、許せないということだ。



度量の大きさでは西洋ではカエサルがいる。カエサルのかわいがっていた部下が、敵対するポンペイウスに寝返ったことがあったが、その部下が陣地に残していった荷物をわざわざ敵陣にまで届けてあげた、という逸話が残っているほどだ。曹操は度量が広く、諫言は受け入れたものの、容易に人を信じなかった点はカエサルより劣る。曹操の猜疑心の強さは、『正史・三国志』巻1にも載せられている次の話からも伺える。

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【大意】曹操は、董卓は結局は失敗する人だと考えたので、董卓の下から逃亡した。途中、成皋の友人である呂伯奢宅に立ち寄った。呂伯奢は留守であったが、息子たちが迎えてくれた。夜中、息子たちがもてなしの準備をしているのを、てっきり自分を殺すためだと勘違いした曹操は、家中の人間を皆殺しにして逃げ去った。

【原文】
太祖以卓終必覆敗、遂不就拜、逃歸郷里。從數騎過故人成皋呂伯奢;伯奢不在、其子與賓客共劫太祖、取馬及物、太祖手刃撃殺數人。

世語曰:太祖過伯奢。伯奢出行、五子皆在、備賓主禮。太祖自以背卓命、疑其圖己、手劍夜殺八人而去。

孫盛雜記曰:太祖聞其食器聲、以爲圖己、遂夜殺之。既而悽愴曰:「寧我負人、毋人負我!」遂行。
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さて、知識を得る、もっとも一般的な方法として読書が挙げられる。読書をする方法、つまり読書術は個人個人、それぞれ方法があるだろうが、私は以前のブログ
【麻生川語録・33】『鯨を一匹まるごと食べる式の読書法』
で述べたが、基本的に原書(原文あるいは日本語訳)を読む方針だ。(参照:『教養を極める読書術』)一方、中田氏の方法はこれとは真逆である。YouTube大学の動画作成の経緯を中田氏自身が語っている動画では、正直に漫画本やあらすじ解説本から作っている時が多いと述べる。しかし、その方法を隠すでもなく、逆に視聴者がそれまで全く興味を持たずにいた本に興味を抱くのであれば、それで良いと主張する。私は彼のこの意見に賛同する。何がきっかけとなるかは問わず、ともかく人類4000年の叡智に邂逅できることは良いことだと考えるからである。ただ、『ファスト教養』(レジー著・集英社新書)でも批判的に書かれているように、教養をつけるのは金儲けのため、ビジネスで成功するため、という趣旨が中田氏の発言の端々で感じられる点については、賛同できないでいる。

結論を言えば、私は中田氏の動画を何本も見たが、その熱心さややり方から「独学術」の一つのロールモデルを見出すことができると思っている。自分で理解した内容を毎日のように積み重ねていくことで、自分の知的水平面を拡大できる。この時、ポイントとなるのはアウトプット(Output)するということだ。彼の場合はその場がYouTubeであるのだが、多くの視聴者から建設的な批評を聴くことで、足りない点、間違っている点を指摘されるのは、良い。

と、かなり中田氏に好意的なことを書いたが、英語の学び方については部分的に全く同意できない点がある。それは会話ができることを至上価値とみなし、とりあえず片言でもしゃべれることがよいとして、口語的な「wanna, gonnaを使えばよい」と断言している下りだ。こういうスラング的な言い方は、英語を母国語ではなく学習言語とする我々はするべきではない。日本で活躍する外国人の中で、パッくんや、デーブ・スペクターなどの使っている日本語が正統的なので、誰もが好感を持てる。ちんぴらややくざのような「おーい、あんちゃん」とか「えーっ、きも~」というような言い方だと引いてしまうであろう。

中田氏のYouTube大学は、確かに賛同できない点や、改善して欲しい点はいろいろとあるが、それだからといって、彼のバイタリティや独学術の良い点を帳消しすることにはならない。「是々非々」で学ぶ点は大いに学んでいくようにしてほしい。
(了)
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