限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第328回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その33)』

2020-09-06 16:57:26 | 日記
前回

D-1.ドイツ語辞書

D-1-1 Wahrig Deutsches Wörterbuch

英語の辞書はひとまず終わり、これからはドイツ語の辞書について説明しよう。

現在、大学では第二外国語が必修でない所が多い。第二外国語をしても実用的には意味がないということであるが、私はそのような意見には反対だ。第二外国語を取る、50人のクラスがあったとしよう。その中で、生涯にわたり第二外国語が何らかの形でその人の人生にプラスになるのは、せいぜい1人か2人で、あとの 40数人には無駄となることだろう。しかし、生物学的にみてそのような無駄はその種族の繁栄には織り込み済みのロスだ。逆に、考えるとその1人、2人は第二外国語が必修でなければ生まれなかったとも考えられるからだ。

何を隠そう、第二外国語が必修であったおかげで、その後の人生で大きな大きな恩恵をうけた1人が私であるからだ。どういういきさつがあったのか、昔話に少しだけ付き合って頂こう。

私がドイツ語を習い始めたのは、1973年に京都大学に入った年だった。当時、工学部の学生は第二外国語が必修で、ドイツ語、フランス語、ロシア語から選ばないといけなかった。機械工学は現在もそうだがドイツが強く、それで機械学科120人の内、8割から9割はドイツ語を選択していた。フランス語は1割程度で、残りの1人か2人(の変わり者?)はロシア語を選択していた。入学当時、私はとりたてて英語以外の語学に強い興味を持っていたわけではなかったので、無難な選択でドイツ語を選んだ。ところが、この何気ない選択が私のその後の人生に極めて重大な意味をもってくるのであるが、この時はそういう予感は微塵もなかった。

ドイツ語の初歩は、冠詞の変化形を覚えることだ。男性名詞の定冠詞の「デア、デス、デム、デン」だけでなく、女性名詞、中性名詞、単数、複数、と似たような変化が延々と続く(と当時は感じた)。第二外国語をする意義を感じなかった当時の私は、ドイツ語の予習、復習など全くしなかった。それが祟り、ある授業の時に当てられた(ein rotes Haus = a red house)の変化形が全く言えず、『鬼の高木』(本名:高木久雄先生)にこっぴどく叱られた。(ところで、後で知ったのだが、高木先生は京都大学を定年退官された後は、京都外国語大学の学長も務められた。)いずれにせよ、これを反省して、1年生の夏休みにすぐさま文法を完全にマスターした。それからは、ドイツ語は逆に、2年間の教養部時代に一番の得意科目となった。全く、怪我の功名だが、怒鳴ってくれて高木先生には感謝しきれないほどの大恩を感じている。

さて、3年生になって専門学部に進学した後、ふとしたきっかけで出席したドイツ語会話のクラスで、突如としてむくむくと「ドイツに留学したい!」という熱望が芽生えた。そのために、もっと徹底的にドイツ語を習得しないといけない、と考え、当時、時計台の下にあった生協の本屋に行った。奥の洋書売り場にはドイツ語の辞書として超有名なDudenが置いてあった。手にとり、ぱらぱら見ても全く味気ない辞書だった。その隣に、「Wahrig Deutsches Wörterbuch」という研究社の「大英和辞典」に匹敵する分厚い辞書が置いてあった。始めてみる名前の辞書だなと思ったが、中をみると、字がしっかりと詰まっていて、いかにも丁寧なつくりで、学術的香りも高そうな辞書だった。私は辞書に限らず、何でも世間の評判だけで買うことはない。自分に合うかどうかを基準に決めている。この時も、有名度から言えば、Dudenで、(私にとって)無名の Wahrigは選択の余地がないのだが、実際に見比べて Wahrig を選択した。



実際に使ってみて感じた、この辞書の特徴は、次の3点である。
1.説明の並びが意味別ではなく、品詞別。
2.例文が多い。
3.語源欄が充実している。





以下、もう少し詳しく説明しよう。

1.説明の並びが意味別ではなく、品詞別。

どの辞書でも、大抵、意味別に説明しているが、この辞書は、まず全ての意味を最初の項目として、ずらずらと列挙する。次に、活用の応じて項目を分け、説明する。例えば、上に挙げた例では Grund(土地)と一緒に使われる名詞が2.で説明され、3.では動詞、4.では形容詞、5.では前置詞、というようになっている。

当初は戸惑ったが、この辞書に慣れるに従って、この表示様式が非常に使いやすいことが分かった。とりわけ、名詞の場合、どのような動詞や前置詞と使われるのかを知るには便利である。というのは、本国人の語感にあった単語の組み合わせがそのまま理解できるからである。

ところで、私も長年数多くの辞書を使っているが、この方式を他の辞書でも使って欲しいと思うのだが、他では見かけないのは、特許の関係であろうか?

2.例文が多い。

この辞書の物理的サイズの割には収録語数はそれほど多くない。大型辞典のサイズで、ページ数は1400ページもありながら 10万語程度の語数しかない。しかしながらその反面、例文がかなり多く収容されている。それで、私たちのような外国人にとって、それぞれの単語の使い方がよくわかる。この意味で、ドイツ語をしっかりと勉強しようとしていた時にこの辞書に巡りあえたのは幸運であったと言える。この意味で、これは「調べる」というより「読む」辞書と言える。

3.語源欄が充実している。

この辞書によって目を開かされたのが語源の重要性であった。それまで、英語の辞書にも語源欄はあったのだが、たいていは、説明も2,3行で、単語の綴りの遷移も素っ気なく、簡単なものであった。ところが、この辞書の語源欄は上の図の最後の [ ] 部で示されているように、古代語(ahd = althochdeutch)や関連する印欧語(インド・ヨーロッパ語、idg=indogermanisch)まで、つまり語根(上の例では gher- )まで及ぶ。さらにそのような縦方向だけではなく、横方向(verwandt mit)の関連語(Sippe um ...)まで及ぶ。つまり、「一つの単語の語源は〇〇だ」というような、通常の辞書にあるような該当単語だけをぽつんと説明するのではなく、その単語に関連したいわば「関連単語の集積」を示してくれているのだ。

私は Wahrig のこの語源欄によってはじめて語源探究の重要度を知ったと言って過言ではない。つまり、ドイツ語や英語の一つ一つの単語の意味を単に理解するだけでなく、印欧語(インド・ヨーロッパ語)全体における各単語の位置づけに興味を持ったのだ。当然のことならが、この辞書はドイツ語の辞書であるので、語源はゲルマン語(古代ドイツ語)に関連するう説明は多いが、しばしばラテン語ギリシャ語まで言及されていたことで、「いづれ、この2つのヨーロッパ古典語は学ばないといけないなあ」との予感がした。

結局、ドイツ留学を目指してドイツ語の習得に励んでいた20歳の時にこの辞書のようなよき伴侶を得て、非常に幸運だった。これ以外にも数多くのドイツ語の辞書は見たことはあるものの、これが無かったら果たしてドイツ語への意欲を持続できたかどうか分からない。この意味で、外国語上達の秘訣の一つは、信頼できるよい辞書(それも「〇和辞典」ではなく、本国で印刷されたもの)を見つけることだ。どういった辞書が各人に一番フィットするかは分からない。それ故、各人がしっかりした「辞書に対する鑑識眼」を持って、自分に合った辞書を根気よく選ぶ必要がある。

私の経験から言えるのは(Rule of Thumb):
「よい辞書を見つけたら、語学習得は半分成就したも同然だ」

【参照ブログ】
想溢筆翔:(第49回目)『不可能を可能に!英語の短期習得術』
沂風詠録:(第72回目)『私の語学学習(その6)』

続く。。。
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