限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・45】『謂學不暇者、雖暇亦不能學矣』

2010-09-25 00:04:45 | 日記
私は高校時代から大学時代にかけてちょっと妙な癖があった。それは、試験前になってある程度試験準備が整ってしまうと、最後にふっと気が抜けてしまうのだ。よく、大学の入試会場を写しているテレビニュースなど見ると、昼の食事時間も食べながら熱心に参考書をしがみついている受験生を見受ける。私は、別に衒っているわけではないが、そういった時にはなぜかまったくの空白の時間を無性に欲するのである。それで、高校の時などは中間テストや期末テストの前日や前々日には決まって兄と夜中に将棋を指していたか、全く関係のない小説などを読んでいた。

そして、試験が終わって全くの制約がなくなった瞬間には、決まって得意科目(数学・物理・英語)の難関問題に取り組もうとする意欲が猛烈に湧いてくるのだった。つまり、試験のような出題範囲が決まっている問題を解いていると次第に脳の知的活動が酸欠状態に陥っているようだった。しかし、試験が終わるまでは、一種のストイック状態を維持していたので、試験終了後にストレス発散され、脳が再び勢いよく活性化するのであった。



私のこのような感覚は多分、生得のもののようで、いまでも何らかの制約条件の下で仕事していると、妙に脳に酸欠を感じてしまう。私の場合、自由時間がたっぷりある方が脳が活性化するタイプのようだ。しかし、世の中には私とは反対のタイプの人が多いらしい。それは、『急ぐ仕事は忙しい人に頼め』というのが世間の常識であることからも分かる。このような人は、制約条件のなかでも脳に酸欠を感じないタフな人のようだ。そういえば、深海の数千メートルにすむバクテリアの中には、数百度の温度にも耐え、人間には有毒の硫化水素を栄養源としている硫黄酸化細菌のようなタフな生物もいるが、人間にもそういうタフな人もいても不思議ではない。

ところで、私の授業(前期:『国際人のグローバルリテラシー』)では、200冊程度の参考図書を挙げていることは以前にも述べた。
 (参照:『国際人のグローバル・リテラシーの図書リスト(1)(2)(3)』)

確かにこの図書リストに挙げられている全ての本が良書とはいえないし、読む必要もない。しかし中にはぜひとも学生の間に一回でも読むことが後々の人生にとって大きな意味を持ってくる、と私の経験から推薦したい本もいくつかある。例えば、歴史の父といわれた、西のヘロドトスの『歴史』、東の司馬遷の『史記』という歴史書の双璧、あるいはギリシャ・ローマの歴史的人物を史記の列伝スタイルで書いた『プルターク英雄伝』など。さらには、後期の授業『ベンチャー魂の系譜』で参考図書に挙げている本で、明治期に6000メーター級のヒマラヤを単独で越え、チベットに潜入した、河口慧海の旅行記『チベット旅行記』(全5冊)は是非とも読むことを勧めたい。

そういうと、決まって学生たちは時間がないという。しかし、それに対しては、夙に2000年も前に、淮南子が『謂學不暇者、雖暇亦不能學矣』(学ぶに暇あらずという者は、暇ありといえども、また学ぶあたわず)と喝破している。この語句を現代風に解釈すると、『時間がないから、本が読めない、と言っている者は、たとえ時間があっても本を読まない』

通り一遍の知識を無理やり暗記することを学問だと勘違いして、脳が久しく酸欠に陥っている学生諸君には、是非とも時間を作って、時代を超越して魂に響く本を読んで、脳をほぐして欲しいものだ。
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