(前回)
本稿では、フランスの科学史家・デュエムの『宇宙の体系』(Le système du monde)について、私の感想を述べているが、歴史学者でもあり、また科学史家としても素晴らしい著作を残している伊東俊太郎氏の『近代科学の源流』(中央公論社、P.22-24)からデュエムを読む価値についての文を転載しよう。尚、伊東俊太郎氏は惜しくも昨年(2023年)93歳にて逝去された。
序章 西欧科学の源流としての中世
「(前略) 十三世紀のヨルダヌス・ネモラリウス Jordanus Nemorarius らのテ トをも分析して、この方面での中世科学の発展を初めて世に示した。これらの先駆的業績ののちに、中世科学そのものを対象とする本格的著作を公にしたのは、ボルド大学の教授で、物理学でも科学哲学でもすぐれた業績のあったピエール・デュエムである。彼のこの方面の最初の著作は『静力学の起源』 Les origines de la statique, 2 tomes, Paris 1905-06 と名づけられており、前二者と同じ領域に関するものであった。デュエムは、この著において、ヨルダヌス・ネモラリウスやサクソニアのアルベルト Albert von Sachsen の貢献を写本研究に基づいて詳細に叙述し、これら中世の静力学研究の伝統が、 レオナルドやタルタリア Niccolò Tartaglia からトリチェリに至る近代の力学研究とどのようにつながっているかを明らかにした。この第一巻の序文で彼は言っている。「近代が当然のこととして誇っている力学的および物理的科学は、じつは、ほとんど気づかれないような改良の、連続した一連の過程によって、中世学派の内部で公にされた教説から流れ出ている。いわゆる知的な革命 révolution とは、最もしばしば、ゆっくりと長い期間にわたって準備された進化évolution にほかならないのだ」さらにデュエムは、前著で静力学について論じたことをさらに動力学や運動学に及ぼし、十四世紀のオックスフォードやパリのスコラ学者、特にジャン・ビュリダンやニコール・オレムらの「ガリレオの先駆者たち」の業績を明るみに出し、彼らの「インペトゥス理論」をはじめとする諸概念のもつ近代力学形成に対する意義を強調した。 それが彼の画期的な書物『レオナルド・ダ・ヴィンチの研究』 Etudes sur Léonard da Vinci, 3 tomes, Paris 1906-13 である。
(中略)
彼はさらに畢生の大作『宇宙の体系』 Le système du monde, 10 tomes, Paris 1913-16, 1954-57の完成にとりかかり、プラトンからコペルニクスに至る宇宙論の歴史を詳細に追究して、中世の科学的伝統の全貌をわれわれに与えた。彼の死後、ユネスコの援助で出版されたこの浩瀚な著作は、中世科学研究にかけた彼の文字どおりのライフワークで、この方面の研究を志す者がゆっくりと味読すべき記念碑的業績である。また彼の小品『現象を救う』 Ne rà Pawópeva, Paris 1908 は、この大作の予備的ミニアチュールとも言うべき密度の高い良著である。その後の中世科学の研究は、このデュエムによって敷かれた路線の上にそのテーゼを拡張してゆく方向に向けられた。ヤンセン、デイクステルホイス、ボルヒェルトなどの研究がそれである。
(中略)
デュエムをはじめこれらの研究が主として十三世紀、 十四世紀の後期スコラの自然学理論を取り扱ったのに対し、十二世紀を中心とする中期のラテン科学の状況を、一次史料に基づく厳密な写本研究によって初めて明らかにした業績として、ハスキンズ Charles H. Haskins の書物『中世科学史研究』Studies in Medieval Science, 2nd ed. Cambridge, Mass. 1927 がある。さらにプリニウスから十七世紀までの科学を、魔術と実験科学の問題を中心に、やはり一次史料に即して克明に追究したソーンダイク Lynn A. Thorndike の浩瀚な著作『魔術と実験科学の歴史』 A History of Magic and Experimental 1923-58も中世科学の貴重なソースである。以上が、中世西欧科学史研究の、いわば第一期と称してよいであろう。(後略)
(続く。。。)
本稿では、フランスの科学史家・デュエムの『宇宙の体系』(Le système du monde)について、私の感想を述べているが、歴史学者でもあり、また科学史家としても素晴らしい著作を残している伊東俊太郎氏の『近代科学の源流』(中央公論社、P.22-24)からデュエムを読む価値についての文を転載しよう。尚、伊東俊太郎氏は惜しくも昨年(2023年)93歳にて逝去された。
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序章 西欧科学の源流としての中世
「(前略) 十三世紀のヨルダヌス・ネモラリウス Jordanus Nemorarius らのテ トをも分析して、この方面での中世科学の発展を初めて世に示した。これらの先駆的業績ののちに、中世科学そのものを対象とする本格的著作を公にしたのは、ボルド大学の教授で、物理学でも科学哲学でもすぐれた業績のあったピエール・デュエムである。彼のこの方面の最初の著作は『静力学の起源』 Les origines de la statique, 2 tomes, Paris 1905-06 と名づけられており、前二者と同じ領域に関するものであった。デュエムは、この著において、ヨルダヌス・ネモラリウスやサクソニアのアルベルト Albert von Sachsen の貢献を写本研究に基づいて詳細に叙述し、これら中世の静力学研究の伝統が、 レオナルドやタルタリア Niccolò Tartaglia からトリチェリに至る近代の力学研究とどのようにつながっているかを明らかにした。この第一巻の序文で彼は言っている。「近代が当然のこととして誇っている力学的および物理的科学は、じつは、ほとんど気づかれないような改良の、連続した一連の過程によって、中世学派の内部で公にされた教説から流れ出ている。いわゆる知的な革命 révolution とは、最もしばしば、ゆっくりと長い期間にわたって準備された進化évolution にほかならないのだ」さらにデュエムは、前著で静力学について論じたことをさらに動力学や運動学に及ぼし、十四世紀のオックスフォードやパリのスコラ学者、特にジャン・ビュリダンやニコール・オレムらの「ガリレオの先駆者たち」の業績を明るみに出し、彼らの「インペトゥス理論」をはじめとする諸概念のもつ近代力学形成に対する意義を強調した。 それが彼の画期的な書物『レオナルド・ダ・ヴィンチの研究』 Etudes sur Léonard da Vinci, 3 tomes, Paris 1906-13 である。
(中略)
彼はさらに畢生の大作『宇宙の体系』 Le système du monde, 10 tomes, Paris 1913-16, 1954-57の完成にとりかかり、プラトンからコペルニクスに至る宇宙論の歴史を詳細に追究して、中世の科学的伝統の全貌をわれわれに与えた。彼の死後、ユネスコの援助で出版されたこの浩瀚な著作は、中世科学研究にかけた彼の文字どおりのライフワークで、この方面の研究を志す者がゆっくりと味読すべき記念碑的業績である。また彼の小品『現象を救う』 Ne rà Pawópeva, Paris 1908 は、この大作の予備的ミニアチュールとも言うべき密度の高い良著である。その後の中世科学の研究は、このデュエムによって敷かれた路線の上にそのテーゼを拡張してゆく方向に向けられた。ヤンセン、デイクステルホイス、ボルヒェルトなどの研究がそれである。
(中略)
デュエムをはじめこれらの研究が主として十三世紀、 十四世紀の後期スコラの自然学理論を取り扱ったのに対し、十二世紀を中心とする中期のラテン科学の状況を、一次史料に基づく厳密な写本研究によって初めて明らかにした業績として、ハスキンズ Charles H. Haskins の書物『中世科学史研究』Studies in Medieval Science, 2nd ed. Cambridge, Mass. 1927 がある。さらにプリニウスから十七世紀までの科学を、魔術と実験科学の問題を中心に、やはり一次史料に即して克明に追究したソーンダイク Lynn A. Thorndike の浩瀚な著作『魔術と実験科学の歴史』 A History of Magic and Experimental 1923-58も中世科学の貴重なソースである。以上が、中世西欧科学史研究の、いわば第一期と称してよいであろう。(後略)
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(続く。。。)
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