限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【授業】『国際人のグローバル・リテラシー(4)』

2010-05-22 08:00:59 | 日記
【国際人のグローバル・リテラシー 4.欧米 アングロサクソンの誤解、現代のグローバリゼーションの問題点】

モデレーター:セネカ3世(SA)

パネリスト
   名前 学部・回生
P1: Apple 総人・1
P2: Orange 法・1 

P1・P2:パネリストの発言
A:オーディエンスの発言
(SA)「」:モデレーターの発言
『』:読書名
():筆者注釈

*******************************

『イギリスの学校生活』(ピーター・ミルワード)
(SA)「著者はどんな人?」
P1:もともとは音楽をやっていたが、文学にのめりこんだ。
現在は上智大学で教鞭をとる。

『肉食の思想』(鯖田豊之 著)
(SA)「ヨーロッパの食生活はどういう感じだった?」
A:副食と主食を分ける思想がなかったりした。
(SA)「中華街には、豚の頭が置いてある。我々はぞっとするが、一方で日本の『尾頭付き』に西洋はぞくっとする。また、本の中では武士の生活にも言及している。武士は貧しかった。今でいうところの武士の平均所得は35石(現在価格で、600万円程度)。定額の扶持米をもらっていた『生活保護世帯』」
(生活保護だと年収600万もない、とも感じたが、当時の子だくさん家庭にとって年収600万は厳しいのだろう。)

『物語オランダ人』(倉部誠)
(SA)「読後感想は?」
P1:オランダ人のイメージが180度変わった。
(SA)「ではもともとはどうだったの?」
P1:友好的なものだと思っていたけれど、第二次世界大戦時の植民地への侵攻により、いまだに日本を恨んでいる人もいる。また、人によってはすごく怠けている人もいる。皆が真面目に働いているわけではないと知った。
(オランダの政治家に「第二次世界大戦でオランダは戦勝国になったけど、植民地を失った。そしてそのまま、それを取り戻せはしなかった。しかし日本はどうだろう。「敗戦の廃墟の中から、日本は世界に名だたる経済大国になった。すばらしいではないか」と、発言した人がいる。人の考えは色々だ。友好的な考えを持つ人もいる、ということは忘れてほしくないです)

(SA)「日本人はついヨーロッパは一つだと思いこんでしまうが、逆にヨーロッパから見ると『アジアは一つ』と思っている。東南アジアも、東アジアも、全部一緒に見えてしまう。正直なところ、ぜんぜん違うよね?ドイツで1年生活したが、非常に肩書きにこだわる人たちだという印象をもった。あるだけの称号をつける。つまり、ドイツは格付けを非常に重んじる。昔の日本でもその名残があった。(勲章をいっぱいつけた偉人がいた)そのお隣のオランダも一緒だろうと思う人がいるかもしれない。しかし、オランダ大使館のパーティで、『オランダでは部下を叱りつけられないくらい平等だ』という話をオランダの会社経営者からじかに聞いた。言葉もドイツとオランダでは、方言の差ぐらいしかない。語彙的にはだいたい同じ。しかし、民族性は大きく異なる。ドイツ、イギリスも地方によって性質がかなり違う。文化圏というマクロでのグローバルリテラシーも大切だが、このようなミクロレベルの差にも注意を払う必要がある。」

『三酔人経綸問答』(中江兆民 著)
(SA)「読んでみてどのような本だった?」
P1:3種類の人(紳士君、豪傑君、先生)が議論をするというもの。
(SA)「この本を勧めるのは、内容より文体だ。中江兆民の漢文は非常に立派。この本を読むには、語彙力が高くないとだめ。表現力をつけるには漢語の語彙がものを言う。中江兆民の時代、つまり明治初期では、たいてい大人になってから外国語(西洋語)をマスターしている。これは漢語の力が高かったのでできたことだ。この本を読むと自分の語彙(漢語)力を試す試金石になる」

『アメリカ史』(アンドレ・モロワ著)
(SA)「フランス史、イギリス史と並ぶ彼の歴史の3部作の一つ。
素晴らしいところは、物の値段(物価)を書いている点だ。高校までの教科書や普通の歴史書ではそれを書いていない。政治制度の変遷でなく、本当の歴史を知るには、おおざっぱでいいから当時の物の値段を知っておく必要がある。たとえば、京都から鹿児島までいくら?」
A:5000円
(SA)「東京へは?」
A:10000円ぐらい
(SA)「(他のオーディエンス向けに)京都から鹿児島まで、いくらぐらい?」
A:16000円ぐらい?
(SA)「だいたいそれぐらい。当時、例えば2両かかったとして、それが今でいうところの2万円であるとしたら、1両=1万円と換算する。
ちなみに江戸時代(中期から後期)1両は20万円相当。平賀源内はヨンストンの『動物図譜』という60両もの本を買う(=1200万円)ために、財産をすべて手放した。ものの値段を考えて読むと実感がわき、歴史の一こま一こまが実体験のように感じられ深い理解ができる。」

『ヨーロッパの個人主義』
(SA)「筆者は渡欧前、ヨーロッパを崇拝していたが、訪れてみると実は、くだらないところもいっぱいあった。渡欧する前に刷り込まれた幻想を一つずつ検証して書いた本」

(SA)「グローバル化とは何を意味するか?つまりグローバル化といわれている精神の根本は何かを問い詰めると、実は自由主義をベースにした近代民主主義の倫理と資本主義の論理である、というのが普通の理解である。そうすると、日本はどの程度グローバル化していると言えるのであろうか?また他の主義に立脚している文明はグローバル化できないのであろうか?またグローバル化することは全ての国家、民族、文明にとって良いことであろうか?
結局これら全ての問題がグローバル化にまつわる話」

(SA)「まずは、アングロ=サクソンに対する普通の理解、イメージから問う。どうか?」
P1:世界の中心的なイメージ。経済のトップだとか、国際政治、文化的な中心である。しかし、最近では西洋の方が衰退してきていて、アジアなどのほかの文明をもっているところが興隆してきている。
(SA)「ヨーロッパは衰退している、ということか」
P2:世界の中心、憧れのようなもの。だが実際は中国が現在は興隆してきている。第二次世界大戦以後はダメになってきたといわれている。

(SA)「アングロサクソン=ヨーロッパという図式で考えてないか。アングロサクソンはヨーロッパの一部である。またヨーロッパとは明らかに違う価値観をもっているアメリカもアングロサクソンという点ではイギリスの自由主義と共通点がある。
(アングロサクソン、という言葉は当たり前だが、イギリスと北米を含む。従って、アメリカのことを考えなければダメ)



(SA)「さて、産業革命の前後でイギリスはどう変わった?」
P1:それまでは手工業。そして、産業革命以後は工場で労働していくようになった。そして、産業革命後に、格差が生まれた。
(SA)「産業革命後に格差が出来たというのだろうか」
P2:格差自体は産業革命以前からあったと思われる。
(SA)「では、労働者の生活は悪くなったのか?」
P2:悪くなってきたと思われる。長時間労働など。
(資本主義の構造的問題「労働力の商品化」から、格差は確かに大きくなった。労働環境は確かに非常に厳しくなったはずである)

(SA)「産業革命までは、ほとんどの労働者は田舎にいた。産業革命で都市に集められ、そして生活は以前より悪くなった。そのころ、つまり1850年頃、日本が開国した時がイギリスの絶頂期だった。そういう時期のヨーロッパのやり方を見て、日本人はヨーロッパというものを誤解した。しかし、産業革命以前のヨーロッパは別物である。産業革命以前のヨーロッパでは人々は何をしていた?」
P2:農耕と放牧をして生きていた。

(SA)「日本に牧畜はない。ヨーロッパは基本は農業と牧畜。人々は田舎で生まれ、死ぬまでその土地に住み続けた」

【日本の自然観について】
P1:もちろん、ヨーロッパでも自然を愛していた。

(SA)「日本人は自然が好きだったか?」
学生に挙手をとったところ、Yesの学生が多かった。しかし、Noの学生も数人いた。Noの理由を列挙。
A:日本は自然を好きではない。それは、整備された自然を愛したからである。
 本当に自然が好きであれば、自然のままにしているはず。
A:自分たちが好ましいものを好きとしていた。

(SA)「日本人は自然愛好家ではない。本当に自然が好きだったら、過疎問題は起きないはず。人が出て行って過疎になるというのはそれだけ自然が多いんだから、過疎地域には逆に人が集まらないとおかしい。日本人は自然が好きという仮定は論理矛盾を引き起こす。このように、反論をするのは至って簡単。一つでも反証を見つければいい。逆に物事を証明しようとすると難しい。
 高校や、世間でいわれてきた常識を疑った方がいい。常識を鵜呑みにするのではなくて、自分でじっくり考えて検証すべし。
 日本は、手を加えた自然が好きである。基本的に庭は刈り込んである。イギリスでは、英国式庭園というように、樹木は自然のまま。150年経った樹木はそれなりの趣が出てくる。それに反して、日本では簡単に枝きりをしてしまうので、全く趣がない!これで自然が好きだと言えるか?!
 しかし、イギリスも残念ながら産業革命によって良き伝統の内、多くの部分は壊されてしまった、とミルワード氏が嘆いている。」

Q2: イギリスのベースとなっている文化は何か?

(SA)「イギリス文化とはなにか?」
P2:ケルト、ローマ、ノルマンが融合したのがイギリス文化
P1:アングロサクソンはローマの後で、ノルマンより前の時代にイギリスに侵入してきた。
(SA)「それ以前に人はいなかったのか?」
P1:ケルト人が先住民だが、追い出されて、ウェールズに移住
A:コーンフィールド、アイルランド、スコットランドに移住。
(SA)「ウェールズは今でも言葉が違う。いまだに、その言語を保持している。われわれの想像以上にヨーロッパ人は執拗に自分達の文化を護ろうとする。ケルト人はイギリス以外のどこに存在していた?」
A:ドイツ、フランスにいたのち、ブルターニュに追いやられた。
(SA)「ケルト人は、ドイツやフランス、チェコにいた。またケルト人の一部は遠くトルコまで移住している。ハリーポッターのテーマの一つがケルト。
 ケルトビーズ。(今でもこのケルトビーズは世界的に人気を誇っているビーズ細工である)
 ところで、イギリス人は階級を重んじた。なぜ?」

P1:騎士に階級を授けるため。騎士が働かなかったら、安全は守れない。
P2:人間と動物を分けようとするなど、人間を頂点に持っていってた。
(これがキリスト教的考え。万物の上に人間がいて、その上に神様がいるというヒエラルキーはキリスト教に独特なもの。ちなみに自然科学の発展、理性の発展とともに神の存在が希薄になるということも起こったが、それはここで述べることでもないだろう。)

(SA)「受講者の一人が本を読む必要性を痛感したというコメントをブログに書いていた。つまり単なる感想ではなく、事実(fact ではなく evidence)をベースに議論を進めるということは大事だ。つまりEBD(Evidence Based Discussion)を私は勧めたい。
 さて、社会のトップは2つの階級があった。騎士と何?」
P1:王(これも階級か、と一瞬納得)
P2:聖職者
(SA)「騎士と僧侶が社会のトップ階層。それ以外は虫けら同様に見下されていたのが古代ヨーロッパ。畑を耕す人は簒奪の対象者とみなされていた。それを奪う者の方が、社会的に上の階級だった。こういう点からも、現在の社会常識というのがいかに偏った考えであるかというのが分かる。騎士が社会の上層部というのは今でも「ナイト」が特権階級の称号であることからも分かる。現在でも神学部に入るのは一種のステータスを示す。」

(SA)「アメリカではどうだったか?」
P1:ヨーロッパ系は高貴。ネイティブ・アメリカンは下に見られた。
P2:ヨーロッパの中でもWASP(White Anglo-Saxon Protestant)が一番上の階層になった。
(SA)「アメリカにも階層がいくつもある。アメリカに住んでいた人は…実感したんじゃない?」
A:西海岸を旅行したが、別に差別は受けなかった。

(SA)「カリフォルニアはアメリカであってアメリカでない人が多い。
 サンフランシスコの人口の40%はノン=アメリカン」
A:白人は白人で集まって住み、黒人は黒人で集まって住む。

【中曽根首相の知的水準発言について】

Wikipedia『知的水準発言』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E7%9A%84%E6%B0%B4%E6%BA%96%E7%99%BA%E8%A8%80

*********************
http://news.ameba.jp/2007/09/7224.php

【1986年9月22日】中曽根首相の知的水準発言で波紋起こる

中曽根康弘首相(当時)が、1986年9月22日に人種差別と受け取られ
る発言をしたことに対して同月24日、米議会トーレス下院議員や黒
人議員連盟から抗議を受けた。

 中曽根首相の発言内容は、「日本はこれだけ高学歴社会になって
、相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。アメリ
カでは黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相
当おって平均的に見たら(知的水準は)非常にまだ低い」というも
の。これが、米国の黒人やプエルトリコ人をはじめとする大多数の
米国人の反発を招き、人種差別発言として大問題となった。
*********************

(SA)「20年ほど前、中曽根首相は『アメリカの黒人やヒスパニックの知的水準は低い』と発言して大問題になった。その後、日本製品のボイコットなどが多発した。1982年~1984年、私ははアメリカに留学していた。アメリカでは
『ダブル・スタンダード』というのがある。(例:男のくせに女々しいなどと性差によって適用される基準が異なること)。アメリカ人(白人)数人と親友関係になったあと、彼らと話しをしていて初めて分かったのが、広い意味でのダブル・スタンダード、つまり『皆そうだと思っていても、公言してはいけないことがある』という事実だった。たとえ統計的に有意差が証明されていても、公の場では言ってはいけないことは知っておかなければならない。他人が誰もいない時には、アメリカ人からはそういった本音が聞こえてくる。ただし、当事者がいたら決して言わない。それが、アメリカ社会の常識である。」

(SA)「気をつけなければならないアメリカの世論の形成。日本人が知っているアメリカというのは、アメリカのごく一部。つまり、東海岸と西海岸だけ。
アメリカの上院のシステムを知っているか?」
A:50州から2人ずつ集まって、国策を決めていく。
(SA)「ということは、日本人が知っているアメリカというのは、100人の内たった6人ぐらいになる。中央部のアメリカ人は、かなり保守的な人たちであるが、そういう意見は日本では通常報道されない。西部、ミドルイーストの人たちの考えはマッチョっぽい。」

(SA)「アメリカでは階級はかなり固定化していて、金があってもなかなかハイソサエティに入ることは認められない。日本なら、大金持ちになればすぐにでもハイソサエティに仲間入りできることを考えるとアメリカの保守性が分かる。イギリスの階級を嫌ってアメリカへ渡ったが、アメリカで結局同じことをやっている。」

(SA)「ところでアメリカの建国の理念は?」
P1:自由と平等。
P2:独立宣言にある。
(SA)「だれが作った?」
P1:トマス=ジェファーソン
A:ベンジャミン=フランクリン
(議論が中途で途絶える。。。)

(SA)「ところで、グローバリゼーションとは何か?」
P1:政治、文化、経済について、国の枠を取っ払って、世界を一つの枠に収めてやること。
(SA)「じゃあ、信念は?皆が共通して理解できることは?スローガンは?」
P1:均一化
(グローバリゼーションについての議論をする前に『文明の衝突』について議論すべきと思い、話題が変わった。)

『文明の衝突』(ハンチントン 著)
(SA)「アメリカは自由主義、資本主義を掲げるが、イスラムと対立している。彼らは自由主義と資本主義がグローバリゼーションのコアだと思っている。一方イスラムは自由主義でも資本主義でもない。ハンチントンの主張は、国々が対立するのは経済的観点というより文明差が根本原因だと述べた。
 ところで、資本主義はいつ生まれた?」
P2:産業革命後だろう。労働者が、不満を訴えて社会主義が表れて、資本主義が出てきた。
(SA)「それでは、社会主義が現れない限り資本主義は生まれなかったのか?」
P2:あったと思うが、名前がついていなかった?
(少し意地汚いと思った。パネリストが、資本主義の発生→労働力の商品化→「搾取」の発生→マルクスの資本論・マルクス社会主義の誕生という流れを知らなかったということは否めないが…)

(SA)「中国、イスラムがどうして資本主義を作れなかったのか?」
P2:自由に物を売っていなかったので、作れなかったのでは?
A:中国では人たちが田舎にばらけて、自分の生活に集中していた。イギリスは囲い込みなどで追い出されていた。
A:宗教的な理由で、合理的なことが出来ていない。
A:社会主義をしっかり固めてからやろうと思っていたのではないか。今は共産主義だと思う。
(中国は中央の思惑から、資本家たちに権力が分散されかねない資本主義を嫌い、イスラムはその教えの中の「喜捨」が蓄財を基本的に禁止し、資本の集積=資本主義の萌芽が発生しなかったのではないだろうか)

(SA)「中国、イスラムに資本主義が発達しなかった訳は、経済の規模や成熟度が問題でなく、権利保護の制度、つまり法整備の不備にその原因が求められるべきと考えられる。」

(SA)「ところで、現在の中国は共産主義か?」
(アンケート…十数名)
A:ほとんど資本主義では?
(SA)「じゃあ資本主義?」
手があまりあがらず。

(SA)「では一体何なのか?」
A:経済は資本主義だと思うが、政治は全体主義的な面が大きいと思う。
(SA)「国家が全体主義的とは…どういうこと?」
A:政治体制は共産主義的だと思う。
(SA)「中国は、西洋人が考えた社会システムとは全く無関係に発展した国であるので、ヨーロッパでいうなんとか主義のどれにも当てはまらない。中国は歴史的にずっと利己主義を貫きとおしている。(ここでいう利己主義でいう『己』とは、個人の意味ではなく、その人が属している密接なグループ、例えば、血族、幇などをさす。つまり、中国の利己主義とは、グループの存在、繁栄が超法規的に重要であると、人々が考え、実践していることを言う。)
社会正義は観念的には存在していても残念ながら中国の長い歴史の中ではまともに実現した期間はわずかであった。毛沢東は、たまたま共産主義というものが、旧政権を打倒する武器として最適だということが分かったので利用しただけで、血族を概念を完全に無視した共産主義が中国人には一番遠い概念であることは分かっていたはず。
(社会主義市場経済などと銘打っているが、正直、ご都合主義だと思う。お金が集まればなんとかなるから、お金を集めるために市場経済を許したと考えられるかな)

【儒教ルネサンス】

(SA)「1990年代前半、ヨーロッパが衰退し、日本はじめ中国、韓国や東南アジアが発展していたが、これを儒教のせいでは?と考えた人たちがいた。ところで日本は儒教の国か?」
A:あるとは聞いたことがない。
A:親子を大切にするところでは、儒教があったのではないか。
(果たして儒教は宗教…か。なんか、道徳的なところに儒教が根付いていると考えられそうである。儒教の道徳化、が私の意見)

(SA)「ハンチントンが言うには、儒教とイスラムがタッグを組み、欧米に立ち向かってくると予言している。日本は日米同盟を捨て、中国と結託してヨーロッパ、アメリカに立ち向かう、というのが彼の想定。たとえハンチントンが世界的に有名な政治学者だったとはいえ、これをそのまま信じるのは危険である。私が読んだ限り、この本には20ヶ所近い間違い、誤解、曲解、無知が指摘できる。ベストセラーだから間違いではない、と考えるのは非常に危険。


『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス=ウェーバー著)

(SA) 『プロテスタンティズムの精神と資本主義の倫理』
 プロテスタントが資本主義を先導した原動力と、この本では書いてある。
 じゃあ、カトリックはどうだったのか?
 まずはカトリック教徒がいる所?」
P1:イタリア、ポーランド、クロアチア、フランス。
(SA)「フランス、イタリアがカトリックの中心。どういうメンタリティを持っていた?」
P1:働くけど、善意を示す。
(SA)「お金は儲けられない?」
P1:儲けることを第一には考えていない。
P2:カトリック教会の方は豪華であった。
(SA)「カトリックは南欧の宗教。楽して一生を終えたい、と考えるのがカトリック。一方のプロテスタントは、上昇志向があった。
 では、ベルギーではどうだったのか?」
P1:ベルギーは北部がプロテスタントで、南部はカトリック。北はオランダ語で南はフランス語。
(SA)「ベルギーは全国的にカトリック。もともとベルギーの北部はオランダ語を話していてオランダだった。しかし、ルターの宗教改革以来、カトリックは南部に残った。その国が分離独立し、南のフランス語を話すカトリックと一緒になりベルギーが出来た。しかしベルギーでは現在、言語対立が激しい。フラマン人VSワロン人そのため、英語教育に力を入れている。
(ちなみにベルギーは成功した連邦制の国。ほぼ言語分布に従って州を設置し、ブリュッセルは両言語地域となっている)

【交換留学のススメ】
 京大の交換留学制度を利用し、ぜひとも1年でも留学すべき。非英語圏の国々でも英語で授業を受けることができる。一度留学すべき。海外で失敗の経験を積むことで初めてわかる事が一杯ある。留学した経験は一生の財産になる。
コメント (15)
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