限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第59回目)『コンサルテーション力のつけ方(1/3)』

2010-05-08 00:21:34 | 日記
現在私は京都大学で、私自身の授業として前期では次の二科目を教えていることは以前述べた。
 『国際人のグローバル・リテラシー』
 『日本の情報文化と社会』(Informatics in Japanese Society)

しかし、この二つに加えて、数人のリレー講義で、『起業と事業創造』という授業も担当している。私の担当コマは『知財、技術マネジメント』である。これは大きくはMOT(技術経営)という範疇の内容をとりあつかう。 MOTというと技術者に経営学を教えるというものであるが、なにしろ時間が限られているので、経営学全般ではなく知財と技術マネジメントに的を絞って話しをすることになる。しかし、それ以外に私の経験から現役の若手の社会人にとって、そして将来そうなるであろう、学生諸君に私の経験から得たコンサルテーション力にまつわる話を3回に分けて述べてみたい。

さて、以前『データマイニングに関するエッセー』にも書いたように、私は1990年からニューラルネットワーク(ニューロともいう)をベースとして、大量データを保有するクレジットカード会社や通信販売会社のデータマイニング・プロジェクトを幾つもこなした。その時、技術的観点からだけでなく、経営的観点から、課題解決について客先との折衝、説得を数多く重ねることで、所謂コンサルテーション力つけることができた。

コンサルテーション力というのは、実は実体の全く異なるいくつかの要素の複合体である。それらは:
a.文章表現力
b.弁論術(説得力)
c.プレゼンテーション技術
d.情報収集力
e.問題把握力・問題解決力
f.正義感・信頼



以下各要素について説明し、それぞれを伸ばす為のヒントを記述する。

a. 文章表現力
○コンサルティングの最終成果物は必ず何らかの書類となる。内容が最重要なのはいうまでもないが、それと同様な位重要なのがその文章表現である。料理でもプロの作るものは盛り付けや、皿の出てくる順序にまで細心の配慮がゆき届いているのと同様、文章にもそういった配慮が必要である。

○具体的には先ず結論を明確にすること。官僚や学者の書く文章は揚げ足をとられまいとするため、不明瞭な表現が多い。その上些細な問題まで言及しているものだから、重要度のレベルが読み手には理解し難いことが多い。我々が書かなければいけないビジネス文では、とにかく論旨が明確に読み取れないと価値がないといって良い。

○人間の理解力は基本的には左脳の論理的思考力によるところではあるが、もっと生き生きとしたイメージ(言葉によるイメージとは比喩やエピソードなど)を喚起する文句を適切に用いることで、読み手の右脳が活性化し、左脳の理解度を高めるだけでなく、記憶に長く留まる。

○私は文章表現と、口語表現とは明確に区別すべきものだと考えている。それは味わいとして手打ちそばとインスタントラーメンの差があってしかるべきである。つまり文章とは伝言板に書かれている伝言のようなものでは不十分である。あるいは最近パワーポイントなどのプレゼンテーション資料でよく見かける体言止めの短文の羅列も不可と考えている。通常文章表現力の低い人達は、自分の書いた書類に口で長々と説明をつけ加えないと真意がわかってもらえないことがある。やはり文章はそれ自体で自己完結していることが望ましい。つまり我々が提出した書類は相手の組織の内で自由に伝達されていくので、その時にいちいち口で説明することなしに、意図が文章によって明確に表現されていないとその書類の価値がないということを肝に銘じておくべきである。

○こういった文章表現力レベルに到達するには、やはりちょっとしたメモ、提案書、報告書、等を多く書いて、自分の頭に出てくる言葉が既にそのまま文章表現としてふさわしいレベルにまで訓練するしかない。とにかく書きなぐりで、真意の伝達は読み手まかせの文章は今後書かないように心掛けることが肝要である。

b.弁論術(説得力)
○我々の頭の構造は通常しゃべる時は非論理的な(つまり脈絡がない)場合が多いが、逆に聞く時は相手の話が論理であることを無意識のうちに要求している。喩えれば自分の本棚では本の並び方が一見でたらめなようでも捜す本の所在がすぐわかるのに反し、他人や図書館の本棚はきちんと整理されていなければ全く本の所在がわからないのと同様である。

○上記a.で述べた様に文章表現が上達するに従い、頭の中の構造がそもそも論理性を帯びてくる。結局弁論術の第一歩はこの状態に至ることである。通常、人は自分では努力して論理的に話しているつもりでも、先ほどの本棚の喩えのように他人にしてみればまだまだ論理性が欠けている。これは自分の話しを一度録音して聞いてみると良い。論理の飛躍、堂々めぐり、不要な言葉(あ~、え~と)、ごまかし、等が頻発し、もしそれがそのまま文章にされたらとても読むに耐えない言葉を話していることに気付き愕然とするであろう。

○弁論術のキーポイントは相手のレベル、関心に合わせてしゃべることである。前述(a.)のように文章で伝達する際にも一応読み手のレベルや関心はくみとってはいるものの、直接的にはそれはわからない。それに反し、面と向かって相手に話しかけている時は、聞き手の顔の表情、そぶり、場の雰囲気やこちらのしゃべる内容に対する反応、相手の知識のレベル、関心度、不明な点等を常に敏感に察知することが重要である。結局かゆいところ以外をかかれても人は不機嫌になるだけである。聞き手というのは、かゆいところはなかなか明確には言ってくれないので、こちらが六感を動員して探り当てる以外に方法がないのである。

○以上述べたような2点、つまり『論理性』と『レベル・関心に合わせる』が私の考える弁論術のキーエッセンスであり、それ以外はマイナーな問題であると私は考える。

続く。。。
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