獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その8)

2024-06-03 01:52:18 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
■第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第2章「ビー・ジェントルマン」

(つづきです)

「あの、石橋さん。これを校門のところで二人の女の人から頼まれました」
「どうして僕を知っているのだ?」
3年生になるとすぐ、新入生が省三に手紙を渡しにきた。最初の頃はこうしたラブレターのようなものを面白がった省三であったが、最近では興味も薄れてきていた。しかし、手紙を頼まれたのだといって持ってきた目の前の新入生には興味を持った。
「君は?」
「はい。1年生の中村将為(まさため)と申します。先日、漢文の香川香南先生から今、学校内で一番漢文の素養があるのは、3年生の石橋省三さんだと伺いました。それで……」
「君は漢文が好きなのか?」
「はい。将来は文学をやりたいと思っていますから。漢文は、そのための大事な勉強です」
中村将為は後に後期の自然主義文学を担う作家・中村星湖として知られるようになる。漢文の香川香南は岩国出身の漢学者である。
「中村君か。覚えておこう。ところでこの手紙は、知り合いから頼まれたのかい?」
「いいえ、知らない女性です。何か、こう、すらっとした垢抜けたというのか、とても不思議な美しさを持った人たちでした」
将為は、詩や作文を好んで読み、書いているというだけあって、女性たちを説明する表現方法も並みの1年生ではなかった。
省三は、将為の「垢抜けた」、「不思議な美しさ」などの表現に惹かれて、手紙を読む気になった。最近では読まずに捨てる手紙のほうが多かったのである。
そして省三は恋をした。初恋である。
「会ってほしい」という手紙の誘いのままに、省三はそのカフェに赴いた。甲府市内にもぽつりぽつりと、カフェだの銘酒屋なんかが軒を並べるようになっていた。
相手は、すらりとした女性で、友人と二人で約束の時刻に待っていた。省三がこれまでに見たこともないようなタイプであって、話をしているうちに、ぐいぐい惹きつけられていた、という出会いであった。
「だから、私は女が働くことを厭うような世の中は間違っていると思うのですよ。男が働くように女だって働いていいじゃあない。それも人様のお役に立つ仕事ならば、決して恥ずかしいことではないわ。そうお思いになりません?」
省三は、絹子という2歳年上の女性にすっかり参ってしまった。
その当時に、こんなふうに自己主張をはっきりする女は滅多にいなかった。しかも看護婦という職業をもって「社会に貢献しているのだ」という言葉には、知らず知らず頷いてしまうのであった。省三自身にも、女が職業を持ってはいけないなどという古い考えはなかった。
絹子は最初のうちこそ、看護婦仲間の友人を連れてきたが、次第に省三と二人だけの時間を持つようになった。省三は、絹子に誘われるままに酒も覚えた。
勿論、中学校では女性と付き合うなどということは禁止されていた。だが、省三にはこの「禁断の木の実」はたまらない愉悦であった。
「中村君、秘かに好きな女と逢うということは、どうしようもない楽しさなんだよ。恋っていうのはこういうものだったんだ」
中村将為は、そんな省三の述懐に目を輝かせて聞き入った。
「それって、ラブ・アフェアーズと言うのです」
「隠れて、というのが自分の気持ちに一層の拍車をかけてくれるみたいだね。本を読んだだけでは分からないのが恋だと、最近では思うようになったよ」

「おい、石橋君。君は悪い女に引っ掛かっているらしいね。最近では酒もやるそうじゃあないか」
一年先輩になってしまった荒井は、省三が剣道を始めるのと同時に自分も剣道を始めた。その剣道の稽古が終わった後、二人きりになると、そう切り出した。
「荒井君だから正直に話すが、僕は今恋に溺れている。相手は看護婦をやって働いている女性だ」
「君にお金はあるのか?」
「うん。……月謝を使い込むことはしない。ただ、学用品代は時々ね」
そう言って笑う省三の笑顔がたまらなく愛らしいのである。荒井は苦笑するより仕方がなかった。
「僕にとって、お母さんの次に知った大事な女性なのだよ」
荒井は、省三が幼くして両親と別れて暮らさざるをえなかったことを思って、はっとした。
(そうか、石橋君はその女性にお母さんを見ているのかもしれない)
荒井は、それ以上省三を追及する気は失せた。
「ただ、忠告しておくが、学校には絶対に知られないようにするんだぞ」
「ありがとう。気をつけるよ」
15歳の恋である。「甘い」と言ってみても「溺れている」と言ってみても、所詮は子供の初恋である。しかも女性のほうが2歳年上とあれば、精神年齢では5つも6つも上であった。どこか省三の一人相撲のような面もあった。いつしか、省三の初恋も立ち消えになってしまった。だが、この甘味で後に苦くなった初恋のツケは、省三に思わぬ痛手を負わせた。
明治33年(1900)3月、省三は二度目の落第に出くわすのであった。
「今度の落第はもうどうしようもない。怠けて遊び歩いていた罰だろうな」
この頃の中学校は第5学年まであった。その5年生に省三は進めなくなってしまったのだ。
「今度こそ、日謙師は呆れ果てて、怒って、悪くすれば追放と退学……」
省三は、観念した。
「仕方がない。自分が師を裏切ったのだから。師の心に適わなかったのだら……」
「分かった。省三は遊びほうけて学業を疎かにした、とこういうことだな」
「はい」
「もし、きちんと学業を修めたとしたらどうだ? 学年で五本の指に入れる自信はあるか?」
「はい。あります」
「ならば、来年は五本の指に入れ。入らなかったら、学校をやめる。この覚悟でもう1年、4年生をやってごらん」
日謙は、どこまでも省三に優しかった。
「どうして、省三さんだけは?」
と、妻に問われて、日謙は、
「湛誓師と約束したからだけではない。省三が大器晩成型だと信じているからだ。あいつの本当の力を認めているからだ。それにな、落第をしたのは省三ばかりではない。だが、落第した生徒のほとんどが恥ずかしくて東京あたりの学校に転校するのだという。しかし、見てごらん。省三は、そんなきまりが悪いなどという気持ちはおくびにも出さずに通っている。2回も落第したのに。私はそんな省三の根性が好きなのだ」
そう答えた。
この日謙の判断が1年後、省三の一生に大きな出会いをもたらすのであった。

(つづく)


解説
15歳で初恋の味を覚えた省三は、学業を怠けて、中学を落第してしまいます。
しかし、それが省三にとって大きな出会いをもたらしたのです。


獅子風蓮