獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その7)

2024-06-02 01:30:10 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
■第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第2章「ビー・ジェントルマン」

省三は現代でいう「飛び級」を果たしたのであった。
普通、小学校の高等科を4年で卒業して次のステップを踏むものであるが、省三は高等科の2年生なのに、設立されたばかりの山梨県立尋常中学校(のちに第一中学校、甲府中学校と何度か校名を変えて現在は甲府第一高等学校)を受験した。当時はそれが可能であった。
鏡中条村尋常高等小学校から卒業年次の高等科4年生も何人か受験したが、驚いたことに合格したのは、2歳年下の省三ただ一人であった。
受験をつよく勧めてくれた日謙は、その受験当日には流行していた天然痘にかかって病床にあった。
「省三、おまえはまだ中学に行くには2年早いが、大丈夫だ、おまえなら大丈夫だ。頑張るのだぞ」
受験当日、日謙は省三を病床には近寄らせずに、廊下に正座させて励ました。
「私が病床にあるのに、中学受験などを、と言う向きもあるようだが気にすることはない。私には、おまえが頑張って合格することが、何よりの薬だからな」
省三は、師の励ましに結果で応えようと思った。山門を出ると、昇ったばかりの朝日が櫛形山の向こうに見える南アルプスを金色に照らしていた。
「仏様も励ましていてくれる」
その自信が、省三を合格に導いたのであった。
湛山の人生における第二の大事な出会いは、この県立尋常中学校への入学によってもたらされる。
省三は中学校に入るとすぐに、日謙に就いて日蓮宗の僧侶として得度した。
「おいおい石橋君、君は随分子供っぽいなあ」
入学するとどの教師も、省三に同じ印象を持ったらしく、そんなことを言った。無理もない。省三は、小学校に入る時に2歳年少であったうえに、今度もまた、小学校高等科2年で中学校に入ったのだから。しかし、
「はい、僕は同級生よりも4歳年下です」
とは言えないので、黙って俯くしかなかった。すると、教師のなかには省三の「卵に目鼻をつけたような」鄙には稀な顔立ちに目をつけて、
「君にはお姉さんがいるかい?」
などと尋ねる者も出る始末であった。
省三は入学するとすぐに、甲府市内にあった山梨普通学校の寄宿舎に入った。この学校は、6年前に湛誓ら日蓮宗の僧侶が、宗門の子弟を教育するために創ったものだが、一般からも入学させていた。だから県立中学校を落ちた者はここに通った。
鏡中条村から甲府まで二里半(約十キロ)もの道程を省三の稚い足で通うのは大変だろうと、日謙がその寄宿舎を世話してくれたのであった。
しばらく経つと日謙が結婚した。日謙も湛誓同様に妻を長遠寺には入れず、家庭を甲府市内に持ったので、省三は日謙に言われて、寄宿舎からここに移った。
甲府中学校は、甲府城の一郭にあった。現在の山梨県庁付近である。
日謙の自宅から通うには問題はなかったが、省三の自我がこの頃から芽生え始めた。中学校に入学してすぐに親しくなった同級生に荒井金造がいて、放課後にはよく話した。
「師がいる時のほうがかえって安心していられるんだ。奥さんと二人だけだと気詰まりしちゃうんだな」
「石橋君の住職さんの奥さんは共立女学校の卒業だって聞いたが……」
「うん、この辺りじゃあ最高だろうね」
「辛く当たるのかい?」
「いや、とっても親切にしてくれる。それがかえって気兼ねの原因なのさ。だからしばらく僕はお寺に戻って、そこから通うつもりなんだ」
「だって、三里近くも離れているんだろう? 大変なことだぜ」
「いや、もうそう決めたんだ」
荒井にも告げたように省三は長遠寺に戻った。日謙は何も言わずにそれを認めた。
「歩いて二里半を通うのも、修行にはなるだろう」
日謙は礼儀作法、起居動作などにはやかましかったが、それ以外の個人的な事柄には寛容であった。
ところが省三は、この鏡中条と甲府との毎日の往復の途中で雑貨屋なんぞに寄って、中入れ(おやつ)を食べることを覚えてしまった。
「歩いているとどうしても腹が減ってくる。たまらなくなって、例えば、太田公園や池の端にある団子屋に入ってしまうんだな。気がつくと、結構毎日のように無駄遣いをしてしまっているんだ」
「無理もないよ。何しろ二里半だもの。でもお金がよくあるもんだなあ」
荒井も省三が「買い食い」したくなるのに同情した。だが、事は買い食いだけですまなくなっていた。
「石橋君、これをお寺に持って帰り、住職さんに渡しなさい」
担任から一通の封書を渡された省三は、嫌な予感を覚えた。実は封書の内容は「月謝の督促状」であった。そうとは知らず封書を手渡すと、日謙は省三の目の前で開いて、目を通した。
「なるほど。分かった」
日謙は、睨むでもなく、怒るでもなく、微笑さえ浮かべて省三を見た。
「省三、毎日の通学はどうだ? 大変か?」
「は、あ……、いえ大丈夫です」
「そうだな。自分で決めたことだものな。頑張って通うのだぞ」
日謙は、黙って学校に省三の月謝を払い込んでくれた。
毎日の買い食いで、省三は月謝を使い込んでしまっていたのだった。
その翌月から省三の小遣いが増えていた。日謙の好意であった。いつもの月より多い小遣いの額を数えて、省三はすべてを理解した。
「師は、月謝のことも分かっていて何も文句も叱責もせずに……」
省三は、これが父親の湛誓であったなら、と思って身震いした。湛誓であったなら多分省三は学校をやめさせられるくらいの厳罰を受けていたに違いなかった。
日謙は省三の非凡さを認めていた。最近、省三に自我が芽生え始めていることも分かっていた。
そういう時の若者は、きつく叱るよりも、黙って悟らせることのほうが効果があることも、日謙は自分自身の経験から知っていた。
「省三ならば、この気持ちがいつか理解できるだろう。あの子は応えてくれる」
日謙は省三を信じていたと言ってもいい。
実際、湛山は後に「日謙師からは何も言われなかったのでかえって恐縮し、反省させられた。これが師の少年を育てるコツであったようだ」と語っている。
だが、省三の「不祥事」はこれで終わらなかった。
翌年の3月になると、省三の落第が発表された。もちろん、他にも何人かの落第はいたが、省三には大きな衝撃であった。
「困ったなあ。落第じゃあ、寺にも戻れない」
省三は、がっかりしながら荒井に成績表を開いて見せた。荒井はそれを覗き込んで、首を傾げた。「だけど、駄目なのは体操だけで、他は全部成績優秀じゃあないか。どうして体操が一科目駄目だからって落第になんかなるんだろうか」
日謙は省三がおずおずと差し出した成績表を見て、一言だけポツリと言った。
「省三は木登りも水泳も禁止だったな。……どうだ? 剣道でもやってみたら?」
省三は他の同級生よりも4歳年下であった。同級生に比べて体力的にも遥かに劣っているのは確かであった。なかでも一番の苦手は器械体操だったのである。
「今という時代は、体力が一番だといわれる。兵隊に行ってお国のお役に立つことが一番求められているのだから、学力よりもそっちのほうが大事ということだ。それも仕方がないことだ」
日謙は、そうした風潮を苦々しく言って省三を慰めた。
しかしこれが、怠学による成績不良での落第であったならどうであったろうか。日謙も堪忍袋の緒が切れたろうか。
省三は、だがそれでも日謙は許してくれただろうと思った。日謙に甘えていたわけではなく、日謙を省三もまた信頼していたからであった。
日謙が話すように、この時代の中学の成績は体操にかなりウエイトが掛けられていたので、体操、つまり体力がレベルに達していない時には、いくら学力が優秀でも容赦なく落第になった。
だが、当時学校内は大荒れに荒れていた。教師たちと生徒の間に軋轢があって、生徒たちは何度もストライキをやった。そのために嫌気がさして校長の黒川雲登は学校を辞めたほどであった。このストライキには省三は加担しなかった。そんなことをやっていたら、また落第してしまう。それが恐ろしかった。
「荒井君、僕は身体を鍛えるために剣道を習うことにしたよ」
省三は学校の道場で剣道に打ち込んだ。
この剣道の袴姿が、今風に言えば「カッコイイ」ということらしく、省三にはいくつかのラブレターが来るようになった。
「袴姿ばかりではないわ。石橋さんてとても可愛いもの。色白で、細おもて。中学校で一番の美少年よ」
そんなことを平気で荒井に告げる女学生もあった。
普通の学生が経験するようなことを省三も経験しながら1年生を二度やって、翌年、2年生に進級できた。
そして省三が3年生になった明治31年(1898)の5月に、幣原坦(しではらひろし)が校長に着任した。幣原は34年まで3年間、この中学校で校長でいて、その後、朝鮮統監府、東京高等師範学校教授、文部省視学官などを歴任し、台北大学総長を経て最後は枢密院顧問になる。戦後の内閣総理大臣・幣原喜重郎は弟に当たる。

(つづく)


解説
省三は飛び級で旧制中学に進学します。
思春期を迎える省三の生活がいきいきと綴られています。


獅子風蓮