獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その16)

2024-06-17 01:33:47 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
■第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき

 


第3章 プラグマティズム

(つづきです)

湛山が本科に進んだ明治37年、のちに俳人として大成する飯田蛇笏(だこつ)、自然主義文学者になる中村星湖(将為)も文学科の英文科に入学する。
蛇笏は明治18年、山梨県東八代郡五成村(現在の境川村)の庄屋の家に生まれた。湛山より一つ年下である。本名は武治。甲府中学に入学するものの、事情があって退学し、東京に出る。そして早稲田大学英文科に入学するのが、偶然にも湛山や星湖と一緒だったというわけである。のちに甲州境川村小黒坂の生まれ故郷を終の棲家と定め、俳句結社「雲母」の主宰として、多くの骨太の俳人を輩出し、自らも自然観照と浪漫性に満ちた作品を生み出していった。代表とされる句に、

  芋の露連山影を正しうす
  くろがねの秋の風鈴鳴りにけり

などがある。
中村星湖は、山梨県南都留郡河口村(現在の河口湖町)に生まれた。湛山と同じ、明治17年のことだ。幼い頃から読書好きで、ほかに書画もよくした。甲府中学では湛山の後輩だったが、湛山同様に予科から大学部に進み、早稲田大学入学は一緒になった。
大学時代から島崎藤村、薄田泣菫らの詩を愛し、雑誌『新小説』などに詩を寄せたりした。早稲田の教授・島村抱月や坪内逍遥らの指導を受けて、小説を書いた。『老巡礼』(『盲巡礼』と改題して『新小説』の懸賞一等に入選)や富士山を背景にした『少年行』(『早稲田文学』の長編小説で一等入選)で文名を上げた。「自然主義文学の最高峰」と、当時もてはやされた作品群である。それは、山間の自然と人間の関わりを豊かな地域性とともに描いたものである。
湛山は甲府中学で先輩後輩だった関係から、星湖についてはよく知っていたし、大学入学後も頻繁に付き合うのだが、蛇笏については親しく付き合った様子はない。蛇笏が、東京の京北中学からの入学であったことが原因かもしれない。

(つづく)


解説

湛山は、早稲田大学で中村星湖という得難い友人と再会し、豊かな人間関係を広げていきます。

 

獅子風蓮