■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■それって自分が可愛いだけじゃないんですか? 投稿日: 2015年7月21日
皆さんからのコメントの数が、あっというまに100を超えてしまうので、すぐに新しいスレッドを書かなきゃ~っってなるんですが、毎回新しいテーマを4・5日ごとに考え出すのもたいへんになってきました(笑)。それでもそれだけ皆さんが言いたいことがたくさんあるってことで、とってもありがたいと思って頑張ってます。これだけたくさんの人が覚醒して、創価に関する同じような悩みや不満を抱えているのに、創価脳の学会員さんたちは、何があろうと気づかない人は気づかないんですよね。今回の安保法案に関しても、普通に考えればどう考えても創価の指示で公明党が動いているのは明らかなのに、創価が悪者になっては自分の都合が悪いために、全部公明党のせいにしてしまうんですね。まったくおめでたいと言うか…。どこまで自分がかわいいんだか(笑)
で、今回のテーマは「それって自分が可愛いだけじゃないんですか?」ということにします。学会員さんはどうあっても「自分が正しい」「創価に間違いなどあるわけがない」「創価が批難されるのは魔の仕業だ」などと、何の根拠もないことを自信満々に平気で口にします。突っ込まれると聞こえないフリをする。いや、私の経験からすると、あれは聞こえないフリではなくて、聞こえてないんですね。反論の声は音として耳に入っては来るけれども、その声が創価フィルターを通ると意味不明の音になって消えていくんです。すごい濾過作用をもった創価フィルターですね。自分の都合のいいことしか入ってこないんです。これ学会員さんをコケにしてるんじゃないんですよ。自分の経験を話してるんです。そしてこのブログでもこれまで何人かの現役活動家さんと話をしてきましたけど、そりゃあ見事な濾過機能の創価フィルターの持ち主でした。私以上にものわかりがよくて分別があるであろう白いブランコさんでさえ、都合の悪いことや説明できないことになると、完璧にスルーしてましたので、完全創価脳の学会員さんなど取りつく島などあるわけがありません。
これって、結局「自分可愛さ」なんじゃないのかな?って思います。いや、べつに「自分可愛さ」っていうのが悪いことだとは言いません。それが度を超して他人を見下すところまでいってるから問題なんだなと思います。今度も結局は公明党を見下してるんですよ。政治的な理念を主張しているんじゃなくて「仏罰→」のプラカードでもわかるように、他人を貶めることによって自分を肯定し、自分が正しいということを主張するような人間になってしまっているといううことです。学会員のデモの姿は平和を訴える市民の姿ではなく「公明党のくせになんでオレたちの言うこと聞かないんだ。そんなことすると罰が当たるぞ」という発想です。ふだんから創価に逆らうと罰があたると脅されているからか、何かにつけて罰が当たる、地獄に堕ちるという発想になるんですね。その裏には「自分は創価の信仰をしているから幸せになれるんだ、どうだまいったか」みたいな優越感に浸ってるんじゃないでしょうか。もちろん彼らには表立ってそんな意識はないでしょうけど、思考回路が「功徳か罰か」の二元論ですから、創価以外は地獄に行って当然、不幸になって当然、自分たちは幸せになって当然と信じきっています。しかし現実は違うことも、どこかで感じているから、なんかどこかビクビクしてるんです。一人では何も言えないんです。ああやって集団だからできても、一人になったときに創価の正当性をきちんと理路整然と話すことができる学会員を、私は一人も知りません。創価の指導では「一人立つ精神」などと言ってきましたけど、だれも一人では何にもできないのが創価です。その根底にはやはり異常なほどにふくれあがった「自分可愛さ」があるからではないでしょうか。つまり人を思いやる気持ちがないんです。人を思いやっているようでも、結局は自分への見返りのためにやっている。創価の活動はみんなそうです。みんな功徳とか福運とかって見返りがあるよと言われて、それにまんまと乗せられて、やりたくもない新聞啓蒙や折伏や財務や選挙活動もやってるんですよね。やりたくない気持ちが出てきたときには「これは世界平和という崇高な使命のためにやっているんだ」などと、むりやり自分に言い聞かせて、自己洗脳しながらどんどん深みにはまっていくんです。
このスレッドでは、自分の経験でも、身近な学会員さんのことでもいいです。「ああ、そういえばこんなこともやってきたけど、肚の底では自分可愛さでやってたよなあ」ってことが思い当たると思います。私もいっぱいあります。普通なら、ただ単に親切でやれることが「これをやっておくと選挙が頼みやすい」とか「ここでいい顔しとけば新聞断れないぞ」っていう腹黒い自分がいたと思います。親しい友人にさえも偽りの偽善的な態度をとってしまわないといけなかったことがあると思います。それって、あとから考えると、ほんとに辛いんです。どうしてあんなふうにしかできなかったんだろうって、めちゃめちゃ悔やみます。偽りの自分を装ううちに、どれがほんとの自分なのかさえわからないような学会員さんいますよね。「ああ、この人、学会員じゃなければほんとにすばらしい人なんだけどな」と思う人もたくさんいます。ほんと残念ですね。
今回の一連の政治不信の出来事がきっかけで「こんなことしてていいのだろうか?」と悩んでいる学会員さんもたくさん出てきたと思います。あと一歩。「創価学会は宗教ではないとしたら」「じつは創価学会が詐欺団体だったとしたら」この仮定にもとづいて、今までの自分の人生を振り返ってみると、どんどん今まで考えたくなかったことの疑問が解けていきますよ。「なるほど!そういうことか!」とそれこそ眼から鱗です。なぜ公明党が安保法案に賛成したのか。創価は平和を求める宗教団体ではないからです。なぜ秘密保護法も集団的自衛権も容認したのか。創価学会が宗教ではないからです。なぜ自衛隊をのイラク派兵させたのか。創価にとってはどうでもいいからです。
現実に創価や公明党がやってきたことの説明は、みんな「創価は宗教団体ではない。会員からお金を搾取するだけの詐欺団体だ」ということで、すべてつきます。詳細はこのブログの過去の記録を読んでみればわかります。そうやって気がついた人がどんどんこのブログに書き込んでいただいています。たんなる絵空事じゃないんです。ここには実際に体験してきた事実と、それをどう捉えてきて、それがどうのように変わってきたのかが克明に記されています。ここに記された10000にものぼる真実の声を読んで、何は本当のことなのかを自分の頭でしっかりと考えていただきたいと思います。
■創価は詐欺にまちがいない! 投稿日: 2015年7月25日
このブログに報告をしていただいているだけでも、かなりの数の学会員さんが脱会しています。
実際に数えてはいませんが、とくに今年に入ってからは、アクセス数が格段に増えたこともあり、脱会の報告数が急上昇してます。
実際に全国的にどれくらいの勢いで脱会者が増えているんでしょう。もし創価学会がまったく後ろめたいところのない健全な宗教団体であるならば、正確な会員数を発表してもいいんじゃないかと思いますが、実際にはもう何十年も前から「日本では827万世帯、海外にも192カ国・地域の会員、1200万人以上の会員」としかありません。そんなはずないじゃないですか(笑)(っていうか「世界公布新時代」とかいいながらも、この世帯数さえ増えていないのも笑えますが)
この10年で、公明党の得票数は800万から700万票に減ってるんです。そして今回の安保法制の件で公明党支持率の劇的な急降下ですから、来年の選挙では確実に700万票は下回るでしょう。600万票いけるかな?あれだけ選挙違反もものともせず、なりふりかまわず公明票をとりまくっても創価の世帯数を下回ってきたんですから、実際の創価の活動家って、やっぱり200~300万人なんだろうなと思います。それがまたどんどん減ってるわけです。この誰の目にもあきらかな現実を尻目に、創価学会の原田会長は「いよいよ創価学会が世界に大躍進する時代がやってきました~!世界公布新時代の幕開けです!」と言っています。いったいどこに行けば創価の大躍進の時代が見れるのでしょうね。でも、、でもです。多くの学会員さんはそれを真に受けて「よっしゃあ~、いよいよ創価の時代の到来だ~、やっぱりオレの信心に間違いはなかったんだ~ワハハハハ~これで誰よりも幸せになれるぞ!さ、どんな功徳が待ってるのかなあ~楽しみだなあ~」と喜んでいるんです(笑)創価学会とはそんな人たちの集まりです。そんな人たちが創価に自分のお金と労働力を貢ぎに貢いで支えているんですね。これどう考えても詐欺ですよね。
やめましょうよ、学会員さん。やめましょう。創価の言うことはみんな嘘っぱち、インチキなんです。詐欺なんです。あなたがたは騙されているだけなんです。実際に何かいいことがありましたか?たとえあったとしても、それは創価でなくてはありえないことでしたか?そのいいことのために、どれだけのお金と労働を貢がなければなりませんでしたか?それだけのお金と根性と行動力があれば、創価などはいらなくても、たいていのことがなしえたはずではありませんか?このブログには、もう何百人もの創価をやめた人がコメントしてますけど、創価をやめて罰が当たったなんて言う人はただの一人もいません。全員が「罰なんてありませんでした」と言っています。この事実をどう説明しますか?創価はやめたら罰が当たるとさんざん脅してきました。いままで数えきれないほどの脱会者がいますが、だれも罰があたったとか不幸になったなどという人はいませんよ。このブログに脱会宣言してくれた人は全員が「やめてよかった!幸せになりました。自分らしい生き方ができます」とみなさん心の底から喜んでいらっしゃいます。この事実をどう説明しますか?
今思い出しましたが、私がまだ若いころ、男子部で頑張っているとき、芸術関係で大きな賞をとったりしたので聖教新聞に載せたいからといって記者(男子部)が職場にやってきました。その記者はどうしても今回の受賞を、あからさまに信心の功徳と結びつけたがって質問をしてくるので、そこははっきり「違う」と言い切りました。それでもしつこく食い下がってきましたが、私は創価の自分の信心が賞をとるためのおまじないみたいに思われたくなかったので、断固拒否しました。記者はしぶしぶ帰っていきました。後日、新聞には適当にごまかして書かれてありました(笑)。つまり聖教新聞に載っている体験発表とか、いろんな「信心の効能」みたいなものを並べて洗脳の材料にしているんですよね。あんなものを学会員は真に受けて「やっぱりkの信心に間違いはないんだ」と自己洗脳してるんですよ。自分でお金を払って、自分を洗脳して、またお金を払う。創価の中枢部にとっては会員は「お金のなる木」です。しかも自己増殖してくれる。少々おかしなことがあっても、罰が恐いからまったく疑うこともない。そうやって創価がどんどん大きくなってきましたが、さすがにもうそんなことの通用する時代は終わってしまいました。今の創価はいわば「残りカス」みたいなものです。とんでもない盲信者と人のいい老人だけの集まりになろうとしています。座談会の顔ぶれを思い出してみてください。この人たちこそ、創価が言う世界公布新時代の現実の姿です。この人たちが世界中を創価学会員だらけにできるパワーがあると思いますか?この人たちが喜んでお金を出す限りは創価はなくならないでしょう。だってそのために存在しているんですからね。座談会に来るメンバーが新聞や書籍を買い、財務を出し、選挙で公明党に投票させることが創価学会の目的です。誰かを幸せにしようなんて創価は考えちゃいませんよ。騙されているだけです。騙されているからわからないんです。そこに気づいてくださいと、このブログで何百人もの人がコメントを通じて訴えているんですよ。
さきほども言いましたが「創価のためにどれだけのお金と労働を貢がなければなりませんでしたか?それだけのお金と根性と行動力があれば、創価などはいらなくても、たいていのことがなしえたはずではありませんか?」ということに気づいてもらえたらなあと思います。創価の活動というのは、いわゆる活動家となると心労も含めてたいへんな労働ですよね。あの常識はずれのアポ無し訪問なんてブラック企業並みの営業ですよ。それをあたりまえのように無償でやるのが創価です。選挙当日に認知症の老人を投票所に車で連れ出して、むりやり公明党の候補の名前を書かせて涼しい顔をしているんです。これも「世界平和のためにお役に立っているんだ」と思い込んでいます。学会員の非常識さや反社会的行為などあげだしたらキリがないです。これほどまでのことを何の悪意もなく、ためらいもなく、むしろ人よりも素晴らしいことを率先してやっているんだと確信を持ってやっています。マジ◯チです(笑)。
そこまで心底だまされているのが創価の学会員さんです。自分のやっていることがどれだけとんでもないことなのかがわからない。わからないどころかいいことをしていると信じている。批判されればすぐにマジギレするから、だれも相手にしない。相手にされないことも「この信心が正しいからこそ難に遭っているんだわ」「あの人たちが魔となって私の信心が試されているのよ」と、もはや何を言われても自分の都合のいいようにしか受け取らない。
ということで、今回のテーマは「創価は詐欺にまちがいない!」という身も蓋もないテーマにしました(笑)。
でもこのことに気がつくかつかないかで、人生が変わるんです。どう変わるかをみなさんにお話ししてもらえたらと思います。
「なんか変だな?もしかして創価ってへんなところかもしれない」となんとなく気持ちがモヤモヤしている学会員さんに向けて、「そのモヤモヤこそ本当のあなたなんですよ!」と教えてあげてください。そのモヤモヤが「創価は詐欺に間違いない!」という確信に変わる瞬間の話をしてあげてください。よろしくお願いします。
●にゃんこ丸 (2015年7月27日 17:24 )
現活動家の友人と会ったり話したりしています。現在進行形なので、具体的なことを書くのは控えますが、創価というのは本当に罪深い団体だなと改めて思いました。
潰れる前に何とか目を覚まして欲しいとの思いで動いていますが、これはひょっとすると潰れるまで……いえ、潰れても気がつかないのかもしれないとさえ思うほどのMCの深さです。
このブログでよく思考停止という言葉が出てきますが、まさにその通りでした。
活動が忙しすぎて、聖教新聞すらちゃんと読めていないのに、活動でMCの上書きをされるからまったく疑うことをしないんですね。自分で考えるということをまずしていない。
一般の新聞、テレビ等も忙しすぎてまったく見てないらしいです。それでも創価学会、公明党を疑う気持ちはまったくないそうです。
今回の安保のことも、ほとんど情報は知らないけど、公明党が正しいよという認識でした。それを疑問に思っていないところが本当に怖かったです。
皆とても面倒見の良い人ばかりで、私も活動家時代にお世話になっていただけに、悲しいです。
こういう友人を見ていると、本当に創価はさっさと潰れてくれることが、もっとも良い解決方法なのかなと思えました。
【解説】
対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。
獅子風蓮