獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:にゃんこ丸さん登場(7)

2022-03-11 01:47:16 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■どこの御本尊も同じだそうですが?       投稿日: 2015年6月13日

「仏法は絶対に変わることのない普遍の真理」と言っておきながら、750年間変わらなかったその信仰の対象である御本尊の解釈を、創価学会は去年の11月に突然180°変えてしまったのはなぜですか?と学会員さんに訊いたら「信仰も時代に則して変わるのが当然」なのだそうです。いやいや、ちょっと待ってください。「絶対変わらない」と言ってきたこれまでの創価学会の80年は間違いだったと認めるのですか?と訊いても聞こえないふりをする(笑)。しかもここまで教義が変わったというのに、聖教新聞に一度載せただけで、あとはまったく話題にもしないし、公式HPにも載せない。だから会員さんがこの御本尊の解釈の劇的な変更をどれだけ知っているのかわからない。
なので、ここでもう一度確認しておきますが、これまで日蓮正宗の外護団体として発足した創価学会は、信仰の対象である本門の本尊を弘安二年に日蓮が顕わしたとされる日蓮正宗の総本山富士大石寺にある大御本尊だとしてきましたが、去年の11月の聖教新聞紙上にて、それは間違いだったと発表しました。いや、「間違いだった」ではなく「変更します」なのだそうです。そして日蓮書写の曼荼羅に類する全ての曼荼羅が本門の本尊であると変更したのです。さらに、もともとこれだけが本門の本尊であるとしてきた弘安二年の大御本尊は、それを所有する日蓮正宗が創価を破門する大謗法の輩であるがゆえに、弘安二年の大御本尊に力はないと言ったのです。創価学会は日蓮正宗から破門された時点で何の関係もなくなったにも関わらず、よそのお寺の本尊を力がないなどと非難しています。いったい何様なんでしょう。創価学会は日蓮正宗から破門された時点で、伝統仏教とはまったく関係のない新興宗教となりました。そしてその教義の基本中の基本である御本尊の解釈としては、日蓮正宗以外の御本尊であればどれも同じく本門の本尊であるとしたのです。つまり、身延の日蓮宗のお寺のお土産屋さんに売ってある御本尊も、楽天ショップに出ている仏壇のおまけで付いている御本尊も、創価学会本部の大誓堂にある御本尊も、全国の学会員の家にある改ざんコピー御本尊も、立正佼成会や霊友会や顕正会の信者さんが拝んでいる御本尊も全て本門の本尊であって、それに本門の題目である南無妙法蓮華経と唱えると、そこが本門の戒壇となり、それが日蓮の出世の本懐である三大秘法であり、どんな願いも叶うのだと宣言したのです。私も最初は信じられませんでしたが、学会員さんによくよく確認しても、そういうことだそうです。よくまあそこまでガラリと教義を変えるものだと思いましたが、なるほど破門された創価学会が自分たちで勝手に作って売っている御本尊に力があるということを理論づけるには、ほかの宗派の御本尊の力も認めざるを得なかったわけなんですね。でもさすがにこれにはあまりにも無理があり過ぎると思ったのか、聖教新聞に一度載せただけで、あとは一切触れないことにして、公式HPにも載せていないのですね。
学会員の皆さん。去年の教義の変更で、創価は自ら宗派を超えて御本尊はどこも同じだと宣言したんです。ウソだと思うなら幹部に訊いてみてください。どこの御本尊にも同じ力があるんだと。だったら、折伏も新聞啓蒙も財務も選挙活動もする必要はありませんよね。ただひたすらどこかの御本尊にお題目を唱えれば、絶対に願いが叶うというのですから。ただ、数ある日蓮系宗派のなかで、唯一、折伏も新聞啓蒙も財務も選挙活動もしなければ功徳がなくて、それを怠ると不幸になるというのが創価学会の信仰なんだそうですよ。これ、かなりリスキーな話ですよね(笑)。創価以外の御本尊にも同じ功徳があるのなら、やりたくない新聞啓蒙や選挙活動なんかしない方がいいと思いませんか?いや、信教の自由がありますから、財務も選挙活動もしたければしていいと思いますけど、してもしなくても功徳は一緒だと創価自体が教義を変更したんですから、功徳と学会活動は関係ありませんと宣言したようなものですよね。だったら折伏するときも、「日蓮系宗派は他にもたくさんあって、日蓮正宗以外はどこも同じ功徳があるのですが、創価学会に限っては、勧誘や新聞購読の営業や配達集金をボランティアでやらなくちゃいけないし、年に一度は最低でも1万円、できるだけ100万単位のお金を寄付しなければならないし、その額によって功徳の量も決まってくるし、選挙活動においては個人の考えなど絶対に許されずに、割り当てられた公明党の候補者の票を何が何でも集めさせられますし、それらに文句を言ったり疑問をもつことがあっただけで、たちまち福運が消えて不幸になるのですが、それでもよかったら創価学会に入って、この5年間1度も姿を現さない池田名誉会長のためにあなたの人生をかけてみませんか?」と言って欲しいものです。
ということで、今回のテーマは「どこの御本尊も同じだそうですが?」とします。
このブログでの白いブランコさんと私との対話を読んでもらえればわかりますが、私も本当にここまで教義が変わったのかと驚きました。でも現役活動家の白いブランコさんがおっしゃるし、ネット上に掲載してある「教義の変更」の文を見ても間違いなさそうです。じゃあ今までの創価の教義は何だったんだ?ってことに関しては一切説明はありませんし、間違っていましたなどといった謝罪などあるわけがあません。かつては邪宗と蔑み御本尊も仏壇も焼き払っていた創価が、今度は日蓮正宗から破門されて御本尊が下付できなくなったら「日蓮系の御本尊はどれも同じく功徳がある」と教義を変更して、自分たちで作っている御本尊にも力があるということにしてしまったのです。
ここまで大胆なご都合主義にも呆れ返りますが、このことに何の疑問も持たない学会員さんにはもっと呆れ返ります。
世界で唯一正しいと信じている創価が「どの宗派の御本尊も一緒ですよ」というのであれば、財務や選挙活動なんかしなくてもいいんじゃないですかね。それとも人よりもっと功徳が欲しくてやってるんでしょうか?


●にゃんこ丸 (2015年6月13日 17:17 )
物心ついた時から、ご本尊様はすごいと教えられてきたので、まだ少し畏怖のようなものは感じています。ただ、それもだいぶ解けてきたので、完全に自分の中で整理がついたら、まず巻いてしまおうと考えています。
子供の頃は、ご本尊様の写真を撮った新聞があって、その新聞社が何の火の気もないのに燃え落ちたとかそういう怖い話を教えられた記憶もあります。
だからご本尊様にカメラを向けたり、鏡で映したりするだけで罰が当たるとかもいわれた気がします。
あとはご本尊様のほうには足を向けて寝ないとか、そういう類のことも言われましたね。
母はずっと仏間で寝ていたのですが、そこがものすごい汚部屋になってしまって、母は何年も物と本の隙間に体を縮めて眠っていました。
片づけを手伝おうにも、こちらとしてもどこから手をつけていいのか分からないぐらいに酷かったです。
それに母がどの物にも愛着があるから捨てたくないと言いましたので、捨てることが出来ませんでした。
母は選挙活動の最中に婦人部の方々の目の前で転び、大腿骨を骨折して入院手術となり、その後精神疾患の悪化で精神病院の閉鎖病棟に転院しました。
その後、足のリハビリのために介護施設に一年入院し、母はようやく精神状態が落ち着いてきました。考えてみればこの間、母は勤行唱題をまったくしていませんでした。他の入院の時には数珠と教本とお守りご本尊を必ずもって入院していたのに、この時はそれがありませんでした。それも良かったのかもしれません。
母の精神状態が落ち着いたことで、ようやく部屋のものを捨てて良い許可が出て、妹と一緒に一気に片付けてしまおうということになりました。
ものすごい量の粗大ゴミが出ました。一部屋にこんなに物が入りきるのかというほどのものでした。
ご本尊様が大事といいつつ、さらには自分自身も大事だと分かっていながら、ここまでの汚部屋になってしまうのは、母が精神疾患だからかと思っていたのですが、もしかするとご本尊が原因なのかなと今は思ったりします。
大量に出てきたゴミの中には池田センセイからの押印和紙とか、妹はまったく身に覚えのない妹名義の財務の領収書なども出てきました。
妹は「お母さん、学会にかなり貢いどってんなぁ」と呆れていました。
大量の書籍は本屋さんに来てもらい、引き取ってもらいました。ただ、創価学会の本は引き取れませんと事前に断りを入れられました。
今はその部屋は前の状態が嘘のようにすっきりと整頓されています。実家で同居する妹が、片付けがどれほど大変だったかを口をすっぱくして言ったのも利いているみたいです。
父もアルコール依存症だったので、それなりに部屋が大変な状態でしたが(それも父の入院中に片付けました)、それよりも家の中でもっとも汚部屋だったのが、ご本尊のある母の部屋というのが、ご本尊の魔力(?)を物語っているような気がしました。
元公明党委員長の矢野氏の本でも、ご本尊を写真にとって複製させていたという証言があったので、写真に取ったら火事になるっていうのはでまかせだったのかもしれませんね。

●にゃんこ丸 (2015年6月14日 06:06 )
矢野氏の書籍の中でご本尊についての具体的な証言があり、とてもびっくりしました。有名な本なので既出かもしれませんが、最近来られた方のために以下に転載させていただきます。
「私が愛した池田大作」矢野絢也著 P220より
振り返れば宗門との対決も、早くから下地が均されつつあった。宗門を刺激するような挑発行為が、あえて小出しで繰り出された。後で思えばボクシングにおける、ジャブのようなものであったのだ。
我々が仰天したのは、本尊模刻事件だった。前述のように日蓮正宗の信者が拝む御本尊は、すべて法主上人の書写したものでなければならない。ところがこれを、池田氏が勝手に贋造し始めたのである。第六四世日昇猊下から下付されたものを、「聖教新聞」のカメラマンに撮影させ、それを元に板本尊を彫らせた。法主の専権事項とされてきたものを侵したわけで、これは教義を軽視、侮辱したことに他ならない。信徒としては絶対にやってはならないことだった。宗門側に知れて問題化したのは、一九七五(昭和五0)年を過ぎてからだが、実際に模刻を始めたのは七二年にまでさかのぼる。
実はこの模刻は、「お守り御本尊」から始まったという話もある。各家庭の仏壇には猊下からいただいた本尊が祀ってあるが、これとは別にペンダントのようにして、首からぶら下げる小さな御本尊がある。これをまず模刻し始めたというのである。その後、学会会館の仏壇に祀る御本尊まで模刻するに至った。
当然ながら宗門としては看過しておけない大不祥事である。こいつらは教義をいったいなんだと思っているのか。自分たちで勝手に法主の仕事を代行するなど、思い上がりも甚だしいとなった。
「私が愛した池田大作」矢野絢也著 P238~239より
かくして一九九一(平成三)年、組織としての創価学会が、翌九二年には池田氏個人も宗門から破門処分となった。
~中略~
まもなく、創価学会の会則も書き換えられた。
「牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の『三代会長』は、(略)永遠の指導者である」
こんな項目が追加された。一応三人について言及されたものではあるが、前の二人はとうに亡くなっている。結局、池田氏だけが生き仏のように「永遠の指導者」として別格の地位に立つことになった。
同時に御本尊問題にも手を打った。宗門と決別したからには、もう御本尊が手に入らない。そこで、第二六世日寛猊下が書写したという昔の本尊を、どこかから手に入れた。今ではそれを写したものを、学会員に付与しているという。
それでいいのか? という思いが私にはある。昔からの学会員はみな、同じなのではないだろうか。御本尊は大切だと教わってきたのだ。なのにそんないい加減なことで本当にいいのか。どうしてもそういぶかってしまう。
だが今の若い人は、あまりそれが気にならないという声も聞く。昔の日蓮正宗時代のことは一切知らないし、聞くのは悪口ばかりだ。板や紙の本尊より、生き仏としての池田氏のほうが大切なのかもしれない。若い人の信仰には池田一神教が定着しており、そのため御本尊の正当性などはさして問題ではないのだろう。
逆に言えば、宗門との決別を覚悟しての「宗門戦争」に突入するには、池田一神教が確立するまで待たなければならなかった。その意味では「第一次宗門戦争」はまだまだ時期尚早だったわけだ。
~転載ここまで~
長くなりましたが、この本を読むと、日蓮正宗から池田教への変遷がわりとスムーズに理解できると思います。
さっき創価学会関連の書籍をすべて古紙で出してきました。祖父の形見として預かっていた「人間革命」と御書も、すべて出してきました。
あの世があるかどうか分かりませんが、もしあったとしたら、祖父はきっと後悔しているだろうなと思ったからです。学会書籍の本棚が空っぽになりましたが、ちょっと気持ちいいです(笑)

●にゃんこ丸 (2015年6月19日 18:48 )
集団的自衛権、派遣法の改正など、国会のニュースが流れるたびに、自分の一票を呪いたくなります。
もっと早く覚醒していたら、前回の衆議院では絶対に公明党には入れなかったし、一票でも二票でも、反政府側の票にすることが出来たのにと思ってしまいます。
そう考え始めると、これまでずっと公明党を支援してきた自分の過ちににまで行き着いて、自己嫌悪に陥ってしまいます。そんなことをしても何も変わらないし、公明党の議員や創価学会の首脳たちは高笑いしているのかと思うと、腹立たしくて仕方がありません。
そんなことを言っていても仕方がないので、とにかく自分に出来ることを探そうと言い聞かせる毎日です。
先日、未活の妹に「創価学会は間違いやったってやっと分かってん。ごめんな」と謝りました。妹は「お姉ちゃんがお母さんに強制されて逃げられへんかったんは分かってた。だから気にせんといて」と言ってくれました。
妹は小学生の時にはもうおかしいと思っていたようで、活動も勤行唱題も一切やっていませんでした。
ただ、母は勤行やお題目をしない妹たちや弟たちに対して、虐待にも近いことをしていました。主にはヒステリーですが、手をあげることもあったし、物を投げることもありました。私はそれが恐ろしかったし、当時は姉として妹や弟たちを守ってあげることも出来ませんでした。
二人の妹と弟は結束して、母から逃げていました。私は逃げる勇気がなく、勤行やお題目をして、未来部員会に参加して母から褒められていました。
そんな妹から初めて何で創価学会がおかしいと思ったのかを聞くことが出来ました。それは妹が小学校の時の話ですが、お題目をあげていると、いつも口の中の同じ部分に歯が当たってものすごく辛かった。だから何かおかしいと思ってやらなかったと言いました。
すごく素朴な理由でしたが、理解できました。
「それが正しかったんやよ」と言うと、「そうか。やっぱり正しかったんやな」って言って笑っていました。
何かおかしいと思っていても、自分はおかしいけど他の人はおかしくないのかも、とも思っていたみたいです。
私が学会がおかしいと気づいたことで、妹もほっとしたと言ってくれました。
三十年ほど経って、ようやく妹との間にあった大きな溝が埋まった気がしました。
もう一人の妹は結婚してしばらくは実家と交流があったのですが、母が孫に信心を強制しようとすることに嫌悪を感じ、数年ほど前に引越しと同時に連絡を絶ち、姉妹である私たちでさえ、今は居所が分かりません。
でも、子供のためを思って離れた妹の決断は今では正しかったと思うし、だからこそ、きっと元気で頑張っていると信じたいと思っています。
まだ妹と共に実家にいる弟は、40を過ぎてもアルバイトで、キレやすく精神的に常に不安定。これまでに何度も警察沙汰を起こしてきました。このところは落ち着いていますが、キレた時に何をするか分からないという怖さは今も常にあります。
ただ、弟も創価の被害者なので、両親が亡くなった後は妹も含めて一緒に暮らすことを考えています。
これが福子の成れの果てです。物心もつかない子供に信心を強制すればどうなるのかということを、現役学会員の皆さんは知って、今すぐやめて欲しいと思います。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、これ以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮