獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:にゃんこ丸さん登場(14)

2022-03-18 01:09:10 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■『桐島、創価やめるってよ。』         投稿日: 2015年7月8日

予想以上に初めての方々がコメントしてくださって驚きましたし嬉しかったです。ほんとうにありがとうございました。
2日経たないうちに160ものお祝いのメッセージをいただきました。アクセス数も15000近くありました。初コメントの率がかなり高いです。その初コメントの多くがこのブログで覚醒への背中を押してもらったとの報告。そして実際に脱会までたどりつけたとのこと。ある程度想像はしていましたけど、こうして事実としてはっきりすると、ものすごく説得力がありますね。まだ迷ったり悩んだりしている方への強いメッセージになったと思います。
そんななかで「創価をやめる日」というお話が出てきました。私も「なるほどなあ」と思いました。最初は半分ジョークとして捉えていましたが、これ実際に決めてやってみると、いまひとつ思い切れないで悩んでいる方にとっては、ひとつの目標を定めるという意味でアリなのかなと思うようになりました。どなたかも仰っていたように11月18日の創価学会創立記念日を「創価をやめる日」と制定して、その日に向けていろんな問題をクリアしていきながら「いちにのさん」で学会本部に脱会届とカラコピ本尊を送る。または地元の中心会館に持参する。その前にこのブログで「創価をやめる日に届けを出します宣言」をしてもらう。そうすると、少なくともこの日は何人の脱会者が出るかを多くの人に知ってもらえるし、みなさんからも激励やお祝いの言葉も伝えられる。毎年の創立記念日にまとまった数の会員が一度にやめていくということが世間一般にも知られることになれば「創価ってやっぱり問題のある団体なんだ」ということを多くの人に知ってもらえるのではないかと思います。
もちろん、すぐにでもやめられる方はそうしてください。でもまわりの人間関係(とくにバリ活の親やパートナーなど)ですぐにはやめられなくて悩んでいる方も多いようですから、そんな方は「11月18日にやめる」と焦点を定めて頑張ってみる。あらかじめこのブログで宣言して、その途中経過や問題点を報告してもらって、みなさんで解決策を話し合う。そんなことができれば、11月18日は創価にとっても新たな記念日になると思います(笑)。
ということで、今回のテーマは有名な映画のタイトルをパクって『桐島、創価やめるってよ。』にします(笑)。
つまり11月18日での脱会予告を宣言することで、目標と自分の気持ちが定まり、それに向かってみなさんで知恵を出し合い激励できるような体勢ができればいいなということです。
今回の200万アクセス達成お祝いメッセージを通じて「創価をやめた人がこんなにいたんだ」ということがわかりました。次は「これから創価をやめようとしている人がこんなにいるんだ」ということがわかれば、今でも創価にいていいのか悪いのか悩んでいるような人にとっても、自分で考えるきっかけになるのではないかと思います。
みなさん、いかがでしょう?
まずは『11月18日は創価をやめる日』制定についてのご意見をお聞かせください。
『11月18日は創価をやめる日』これを目標に頑張れる人がたくさんいらっしゃるんじゃないかと思うんです。そんな方のフォローをここの皆さんで協力してやっていけば、毎年11月18日はすばらしい日になるのではないでしょうか。創価側としても、あらかじめ知っておけば受け入れ準備もできることですし(笑)、もう機械的にパッパと脱会手続きをしてもらえるんじゃないかと(笑)。そのときはちゃんと『脱会手続き完了確認書』なるものも発行して欲しいですね。現状では脱会できているのかどうかの確認さえできない状態ですし、中には地元の幹部が握りつぶしている場合もかなりあるみたいですからね。
信教の自由が保障されている日本において、これほどやめることについて問題のある宗教団体があっていいものでしょうか。やめたいのにやめられない。この時点で創価学会は日本の宗教としては異常なんです。失格なんです。それを創価は会員に対して問題とも何とも思えないように洗脳してしまっているんですね。日本ではどんな宗教であろうと、本人がやめると思えば、それをひきとめる資格はだれにもありません。憲法で保障されている日本人としての基本的な権利なんです。それを創価は精神的に脅しまくってやめられないようにしてきました。なぜやめられないようにしているのか。単純に金蔓を逃さないためです。その人が信仰を離れて幸せを逃すなんてことなど考えていません。でも洗脳されている末端の学会員さんはそんなふうに思わされていますから脱会しようとする会員に向かって「よかれと思って」あらゆる手段で引き止めます。末端の会員さんは悪気はないんです。悪気もなく他人の基本的人権を奪い取ろうとしているんですね。
本来なら本人がやめたいと思えば、即やめられるのが憲法で保障された信教の自由であるはず。それを頭から否定しているのが創価学会です。おそらくこのことを本部幹部に訴えても「創価学会としては信仰を強制することはいっさいしておりません。信仰はあくまで本人の自由意志であり、本人がやめたければいつでもやめられてけっこうです」などと言うでしょう。しかし実態は違います。末端の会員同士がどんな手を使ってでも引き止めます。それはその人を思ってのこともあるでしょうし、自分の組織から脱会者を出すなんて恥だと思っている会員もいるでしょうし、脱会者を出すと自分の功徳までなくなってしまうと思う人もいるでしょう。とにかく本部では建前のきれいごとしか言わずに、末端組織ではとんでもない人権侵害をさせているのです。
やめたくてもやめられないで悩んでいる学会員のみなさん。いま日本全国で創価学会に起っていることがわかったと思います。創価学会にもう未来はありません。創価学会が宗教団体ではなく詐欺団体だったということが多くの人に知られることとなり、どんどん脱会しているのが現実なんです。みなさんの地区の座談会の顔ぶれをみたらはっきりわかることじゃないですか。みなさんの地区の座談会に「世界公布新時代」の勢いがありますか?これからその地区の新時代をになっていく若者がいますか?そしてこのブログに寄せられたたくさんのメッセージ。「脱会できてほんとうによかった!」という声をどのように考えますか?いま一度、創価学会がほんとうに正しい宗教なのかどうか、自分の頭で考えてみてください。というか、自分の頭で考えることをしていない今の自分に気がついて欲しいと思います。自分の頭で自分のことを考えられるようになれば、おのずと答えは出てくるはずです。そしてここにあつまる皆さんは、自分で考えることをはじめたからこそ、ここまでの大きなつながりになったのです。もういいかげんここの皆さんの言葉を否定するには無理がありすぎはしませんか。いつまでも騙されていないで、自分で考えて自分らしい生き方を選択しましょう。いつまでも詐欺にひっかかっていないで、自分で自分の人生をつくりあげていきましょう。ここに集う多くの人がそれを望んでいるんです。


●にゃんこ丸 (2015年7月8日 17:17 )
私が創価から完全に脱会するのは、母親の死んだ日です。死んだその日にでも脱会届を出すつもりでいます。なぜなら信心強情な母親には躁うつ病という精神疾患があり、動揺すると何をするか分からないからです。
ナンミョウズハイのおかげで、かなり酷い状態になっています。
去年、精神病院の閉鎖病棟に入院しました。
その前にいた一般の病院では、幻覚幻聴に襲われ、看護師さんに噛み付き、他の患者さんに物やお茶を投げつけていました。
母親はそういう爆弾を抱えています。だから、迂闊に動くことは出来ません。
閉鎖病棟では「南無妙法蓮華経」と叫ぶ患者さんの声が複数聞こえていました。母もまた叫んでいました。
今すぐにでも脱会届を出してやりたい気持ちはいつでもあります。実家の弟も妹も、早く創価と縁を切りたいけど、母親がどうなるか分からないので、我慢しています。
別居している私の行為が母親の爆弾のスイッチを押してしまうようなことになってしまえば、私は実家の弟や妹にどう謝っていいか分かりません。
やってみなければ分からないという人もいるかもしれませんが、爆弾のスイッチを押してしまう可能性のあることは出来るだけ避けるしかないのが現状です。何かあった時の責任は、家族で取るしかないからです。
生まれたときに私の信教の自由を奪い、創価のMCを押し付け、さらには今も私を創価に縛り続ける母親に対して「早く死んで」と思うこともあります。自分はその気持ちを乗り越えないといけないと思っています。乗り越えないと、私自身が母親と自分の人生に負けることになると思います。だから悔しいけど、家族を守るために母親が死ぬまでは耐えます。

●にゃんこ丸 (2015年7月9日 08:26 )
昨日は感情的なコメントになってしまい、すみませんでした。自分の中で母親への憎しみや怒りは随分と落ち着いていると思っていたのに、活動をやめ、勤行をやめ、聖教新聞をやめても脱会できない現状に、悲しくて辛くて悔しくて堪らなくなりました。
まだまだわたしの中で母親への気持ちは整理がついていないのだと改めて思いました。
改めて本当に創価が憎いです。子供が母親を憎まなければならないことが、どれほど残酷なことか。甘い汁を吸っている幹部たちには同じ思いをしてみろと言ってやりたい。
でも、そんな幹部たちはもはや欲にまみれて人間らしい心も失って、こんな言葉も届かないのでしょうけどね。
私は母親が生きている限り、完全に脱会することは出来ませんが、出来る人はどんどんして欲しい。一日も早く解放されてほしいと思います。
皆さんがおっしゃられているように、まず活動をやめるのもいいと思います。そこが一つ目の壁だと思います。
私の場合は、活動をやめたときは悲惨でした。
友達と何の下心もなく普通に仲良くしたいという自分の気持ちと、活動をしなければならないという気持ちと、役職への義務感とで心のバランスを完全に崩してしまい、仕事に集中できず、ほとんどの仕事を失いました。そしてたぶんその影響だったのでしょう。30代であるにも関わらず、どんどん歯が抜けてしまいました。その時にある婦人部の方がとりあえず歯医者に行こうといってくれ、何とか歯医者には行きましたが、精神科にまでいく金銭的な余裕はなく、歯医者に通いつつ、派遣のアルバイトを始めました。ただ、その時にもし精神科に行っていたら、某創価系の病院に連れて行かれていたでしょうから、結果的には良かったのだなと思います。
その婦人部の方に何度か会合に誘われ、断るたびに「これ断ったら罰が当たるんですよね? あなたが誘わなかったら、会合があるって知らなかったら罰も当たらなかったのに!」と当たってしまったりしました。結局、その方のすすめで会合をすべて休もうということになりました。最初は「そんなことしたらもっと罰が当たる!」と抵抗していたのですが「今は休むことが必要。病院に行けないんだったら、せめて会合を休もう」と言ってくれました。私が活動を休止することも含めて全部その方が進めてくださり、私はようやく活動から解放されました。
家賃の安い実家近くへ引っ越すとき、その人は言いました。「自分が本当に納得して、もう一度活動がしたいと思えるまで休まないとあかんよ」と。こちらへ引っ越してきてからも、ずっと活動をしていないと罰が当たるような気がして焦ったりもしましたが、その人のその言葉のおかげで、活動に復活することはありませんでした。結局、私に「もう一度活動がしたい」と思える日は来ませんでした。
私のように酷い状態でやめざるを得ないことになる前に、無理やり活動されている方はやめることを考えられたほうが良いと思います。
私には正常と病気の境目が分かりませんでした。気がついたときにはもう境界を越えていました。
心のバランスを崩してしまってからでは正常な判断もできなくなる可能性があります。やばいなと思っている段階でやめれば、心の健康を取り戻すだけでなく、本当の自分の人生も取り戻すことが出来ると思います。
私も一時は派遣のアルバイトで食べ繋いでいましたが、今は元の仕事に戻って、仕事への感謝も増し、アルバイトをしなくても十分生活が出来るまでに戻りました。
失ったものは取り戻せませんし、過去の傷が完全に癒えることもないでしょうが、私は新しい人生を生き直していると思っています。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、これ以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮