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男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよく具しつる人々なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。
先日まで古事記を読んでいたので、このあまりにも現代的な調子に驚く。土佐に出張するのに、事務手続きをして、官舎をあとにし、みんなと大騒ぎしてたら夜が更けた。
あまりにもふつうすぎて、ヤマトタケルのサイコが懐かしい。
女のふりをした男が、男のつける日記を女もしてみようと言って書いてみました。結局、男の日記ではないかっ。ヤマトタケルをみよ、女性のふりして惨殺を繰り返しておったぞ……。インテリというものは、ほんとうはヤマトタケルタイプが多いものだ。これが、いつのまにか役人みたいなタイプが多くなってしまった。
甲野さんは寝ながら日記を記けだした。横綴の茶の表布の少しは汗に汚ごれた角を、折るようにあけて、二三枚めくると、一頁の三が一ほど白い所が出て来た。甲野さんはここから書き始める。鉛筆を執って景気よく、
「一奩楼角雨、閑殺古今人」
と書いてしばらく考えている。転結を添えて絶句にする気と見える。
――漱石「虞美人草」
近代になっても人々はやたら日記をつけている。私もそうであった。小学校1年生からほぼ毎日つけているような気がする。こういうことが、自分は男だ、女だと、言ってみることよりも大きいのだ。