★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

松縄の熊野神社を訪ねる(香川の神社29)

2017-09-07 17:54:59 | 神社仏閣
高松には熊野神社がいくつかあります。今日のは松縄にある熊野神社です。



この神社は、周囲から1メートルほど盛り上がっているのであるが、どうやら松縄城のあとと推測されるらしい。城主は、宮脇氏である。宮脇氏というと、もうそこら中で活躍している名字である。軍人とか書店とか、あと中央公論だかの有名編集者とか……。高松市中の町の名前にもなっている。上記にもあるが、一説によると、宮脇家は、熊野三山の社僧湛増の子孫だということだ。湛増は、はじめ平家の味方だったが壇ノ浦では平家を粉砕した源氏の家来である。まあ、うちの遠い先祖かなんかも、もとは藤原氏だとか称した秀吉の家来で、秀吉が四国征伐した時に讃岐十万石をもらって高松城に拠点が移る前の宇多津城に住んでたこともあるらしい(あらら)。秀吉の九州征伐で長宗我部と一緒に先陣切って頑張っていたが、戸次川の戦いで島津の挑発に乗って独断専行して敗走、勝手に讃岐に帰ってしまったため秀吉の怒りを買い、高野山に隠居させられた。その後小田原征伐で頑張り信濃の小諸城主に落ち着いた訳であった。その仙★秀久氏の血がどこかで紛れ込んでいたとしても、それは薄まりまくっている(ていうか、ほぼ全く関係なし)わたくしであるが、――――いまでもプライドのため先祖の悪霊のため、×脇書店にはまだ入ったことがない。その代わり、アマゾンの軍門に降っている。――――人間恐ろしいものだ、自分とは全く関係ない人間と自分を名字や系図もどきで結びつけ、虚構を作り上げることができる。ただ、その虚構は生き物である。

どうも、源氏が先祖とか称している連中は「坊っちゃん」を含めて、四国からは撤退するようである。各地にある平家落人大明神の勢いを思い知れ。


「熊野三所宮」とあり。


拝殿

 






拝殿に近づく


ちょっとよく見ると不気味な鈴達である。


雨が降ってきました



 
本殿がかっこいいですね……

 


天照大神・大巳貴命・植安媛命・倉稲魂命・少彦名命


これは誰だろう……

 



松熊神社だそうです。案内板によると、野村のあった神さん(流石神社・天満神社・道祖神)を集めたので「寄せ宮さん」と称しました。で、それを野神社の中に持ってきたんで、「松熊神社」となったみたいです。こういうのは、なんか強引な気がするのですがそうでもありません。うちの出身校なんか、木曽高校と木曽山林高校をあわせて「木曽青峰高校」になったそうです。こういう合併騒ぎでは名前をどうするかすったもんだがあるのです。日本では、しばしば名前がプライドの源泉であることは如上の私の先祖?のエピソードを見ればわかります。まだ、平等に合体させる方がいいのではないでしょうか。木山高校、木林高校、曽山高校、思い切って、木校という手もあります。


松熊神社の拝殿・本殿の裏に天満神社がありました。

上の写真をみても思うんですが、日本の戦艦の檣楼デザインて、神社がどこかしらイメージされている気がする。この前、みこしまくりで壊れた神輿が国会議事堂に似てたんでびっくりしたんだけど……

大降りになってきましたので、仕事に戻ります。


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